せきららキララ

木ノ子が生い立ちとか色々と自分語りするだけのブログ

定義はなくとも名付けることで救われるなら

さて、機能不全家族の話に続きまして、今回は小中学校で受けていたいじめについて書き起こしていきます。

※おそらく私が受けてきたものはだいぶソフトだと思いますし、私もだいぶ折り合いがつけられたので軽めに端折って話しますが、一部自傷行為についての記述もありますので、人によってはフラッシュバックを起こされる可能性もございます。ご留意くださいませ。


27年の人生の中で明確に「あ、これいじめってやつだ」と思ったのは2回あり、1度目は小5の秋冬頃、2度目は中1の秋冬頃です。2回とも秋冬頃という日照時間の少なさも相まって自分も相手も精神的によろしくなかったからでは?と後から分析したりもする。
ちょっと変化球的に大学1年の後半頃から楽団の同パートの女の子たちとうまくいっていなかったことはあるのですが、これはいじめではなく単に相性が悪かったというか私の性格に明らかに問題があったとか、まあ双方暇だったんだろうなと思っています。3年になって団内で最高学年になったら丸くなったので。

タイトルにもあるように、いじめには明確な定義がありません。学校の先生がよく言う「された人がいじめだと思ったらいじめ」のように、完全に主観の問題です。だから人によっては/場合によっては「これぐらいのことでいじめとか被害者面か?不幸自慢か?」と思うこともあるでしょう。
しかしながら「いじめ」という名前をつけることによって、訳もわからず迫害された側が自分に非があるのだと思い詰めてしまうのではなく「いじめた側が悪いのだ」とすることで自分の心を守れるのなら、それでいいんじゃないかなあと思っています。ただ、「自分はいじめられている」と思うことで惨めな気持ちになるのも分かる。アンビバレンツ。それゆえに苦しい。


初めてのいじめのきっかけは、友人のとある勘違いとクラスメイトの無駄な正義感でした。
スイミングスクールに通っていた友人、これをAちゃんとします。そのスイミングスクールには同じ小学校の子が私とAちゃんしかおらず、更衣室ではいつもAちゃんとAちゃんのお姉さん(中学生)とおしゃべりしながら着替えていました。
ある日のおしゃべりで、私が「最近Bちゃん(クラスメイト)がさ…」と切り出した直後に先生に呼ばれ、戻ってきたときにはその話のことをすっかり忘れていた、ということがありました。本当は「最近Bちゃんが膝かっくんにハマってて色んな人にやってるんだよ」という話をするつもりでした。

そのまま帰宅し、次の日の朝に教室に着くと、うつむくBちゃんがいて、私の机の周りには近所の幼馴染であるCちゃんとその取り巻きとAちゃんがいました。
私が「なんかあった?」と聞くといきなり眉間に皺を寄せたCちゃんが「とぼけるんじゃねえ!」と机の脚を蹴り、私は何がなんだか分からず呆然。「あんた昨日スイミングでBちゃんの悪口言おうとしてたんでしょ。Aちゃんと自分しかいないからって。そういう奴って最低だと思う」
は?何のこと?悪口?とAちゃんを見ても、いつも楽しくおしゃべりしていたはずのAちゃんもこちらを睨み「言いかけてやめたってことは後ろめたいことだったんでしょ」と言う。
「いやいや、Bちゃんが膝かっくんしてくるんだよーって話しようとしたら先生に呼ばれて忘れてただけだって。今思い出したけど」「嘘つくなよ!」また机の脚が蹴られる。
明らかにヤバいやりとりなのにクラスの誰も何も言わない。気にしてない。何これ?と思ってる間にチャイムが鳴り、めいめいの席に着き、授業が始まりました。

そこからが地獄のスタート。Cちゃんは完全に「Bちゃんの悪口を陰で言おうとしていた最悪のやつに正義の鉄拳を」といった立場で、取り巻きに王様ゲーム的に私を殴らせたり、「死ね」と書かれた手紙が授業中に回ってきたり、グループ学習で私だけ完全に無視されたり、赤白帽を隠されたりといったことが始まりました。
ただ、エスカレートしていく中で助けてくれるクラスメイトはいました。グループ学習で無視されたときには「木ノ子ちゃんがいったい何したっていうの。そっちの方が悪いことしてんじゃん。無視ってどんだけ傷つくか分かるの」と言ってくれる子がいた。でもCちゃんは「あんたには関係ない」と一蹴。道徳でいじめについての授業があったときCちゃんが先生に当てられて「いじめはよくないと思います」と胸を張って答えていたとき、隣の席の男子が「いや、今お前いじめやってんじゃん。何言ってんの?」と呟いたけど、そのまま終わってしまった。
元教師である母親に相談すると「そんなのに負けてたらダメ」と言われ、学校を休むことは許されませんでした。しかしながら「先生には私から言っておくから少しの間辛抱しなさい」とも。
後日保護者面談を終えて帰ってきた母から聞かされたのは「先生は『私は直接見ていないから知らない。木ノ子さんに否があったのでは?』の一点張りだった。これはダメだわ。クラス変わるまで耐えなさい」。
耐えられるかそんなもん。


そんなとき、救いだったのは6年生でした。
同学年の友人は、私の肩を持てばCちゃんの敵になってしまうので、積極的に動いたり話を聞いたりといったことはあまりできないものです。が、ひとつ上の学年なら、私と仲良くしようが肩を持とうがCちゃんが手出しできない。
当時たまたま児童会に入っていた関係上、主に3人の6年生に話を聞いてもらったり、児童会が終わった後に一緒に帰ってもらったり、(携帯電話は持ってなかったのでPCで)メールをしたり、その時間だけが唯一楽しかった。そのうち3人のご友人とも仲良くなり、休み時間は6年生の教室に行くことが多くなりました。
だから、卒業式でボロ泣きしてしまいました。あなたたちがいなくなったら私はどうすればいいの。幸いにも6年になってCちゃんともBちゃんともクラスは分かれ、自然消滅という形でいじめは終焉を迎えました。
ただ、今まであっけらかんと周囲の目など気にせず自由に生きてきた私が、このときから「自分の思わぬところで善意の皮を被った悪意を向けられることがある」という不安を常に持ってしまうようにもなりました。


2度目はかなりバイオレンスないじめです。それは相手が中学生の男子だったから。
私の中学は、定期テストの成績を返却されるときには小さな紙切れではなく、綺麗な大きめの厚紙に毎回の偏差値と点数と順位を累積していきグラフにするという形をとっていました。単発ではなく1年を通しての成績表という感じです。
自慢ではないのですが私は定期テストや実力テストで学年1位しか取ったことがありませんでした。大っぴらにはそんなことを公言していませんでしたが、まあ授業で当てられたら必ず答えていたし、友達の宿題を手伝ったり分からないことを教えたりといったことはしていたので、成績が良いということはクラスの中では知られていたと思います。
ある秋の深まった日、クラスのやんちゃな男子、これをDとしますがーーDが私の成績表を引ったくり、中身を見て一言。「こいつ今までのテスト全部1位だ!偏差値70とか80とかある!きめえwwwww女なのにガリ勉wwwwwww」
これが学年中に言いふらされます。とはいえ9割は気にしていません。が、Dの周囲の男子はちょっと違った。
「先公に気に入られやがって」「勉強できるからって調子こいてんじゃねえぞ女のくせに」「胸でかいんだから勉強なんてやめてAV女優になれば」言葉だけならまだ耐えられた。しかしながらだんだんとすれ違い様に肩を殴られたり足を引っかけられたりするようになりました。そのうちDが何か気に入らないことがあるたびに、肩だけではなくお腹や顔も殴られたり蹴られたりして、それを守ろうとした腕、セーラー服の下には青あざがいくつもついていました。口の中が切れたこともあります。それを見ていた周囲の男子も便乗して私を押さえつけたり、遠くから石を投げたりするようになった。暴力だけでなく、教科書をハサミで切られたりノートを破られたりもしました。
発育が早かった私は当時大抵の男子より体が大きく、取っ組み合いになっても抵抗ができるものと思っていたけど、空手や剣道をやっていたDには全然反撃ができず。「髪伸ばしてんのきめえ」とポニーテールを引っ張られて地面に叩きつけられるようになったのを受けて、ショートヘアにしたりもしました。そんな理由で大切な髪を切るのは悲しかった。
さすがに暴力が絡むと同級生は助けてくれません。一度クラスの女の子が私を助けようとして思いっきり殴られて泣いてしまい、「弱えなあ、木ノ子ならこれぐらいじゃ泣かねーのに」と言っていたとき恐怖を感じました。泣かなかったんじゃない。泣けなかったんだよ、私は。もう何もかもが分からなくて。

そして今度は小学生の頃とは逆に、顔の青あざや明確な証言を元に先生たちが動いてくれました。しかし力も強い中学生の男子は先生ぐらいでは止まらない。それどころか「先公にチクったな」とエスカレートする始末。小学生の頃のように上の学年に助けを求めることもできない。相変わらず母は「そんなのに負けてたらダメ」と言う。仲が良かった女友達は火の粉が降りかかるのを恐れて離れてゆく。


気づいたときには左の手首を自分で傷つけていました。


何でそうしようと思ったのかは全く記憶にありません。死にたい気持ちはあったもののそれで死ぬ気はなかった。なぜなら私が使ったのは静脈や動脈まで深く切れるカッターナイフではなく、傷は浅いが弱い力でも確実に表皮と毛細血管に傷を付けられるテープカッターだったから。カッターナイフで皮膚に傷を付けるためには案外力入れないとダメって皆さん知ってました?うっかり切れちゃうときにはスパッと切れるのにね。

殴られる痛みも蹴られる痛みも知っていた私は「痛い思いをしたくない」と思っていたはずなのに、衝動的に自分を傷つけたあとに湧いた感情は「気持ちいい」。心がふっと軽くなるような、喉を締め付ける力が弱まるような、じんわりとした陶酔感がありました。心や体が他者に傷つけられるのを打ち消すように自ら手首を切ることが麻酔のようで。

こちらのいじめも小5のときと同じく根本解決がなされることは特になく、学年が上がるまで私は自傷行為によって暴力を耐え、ときにブログで見ず知らずの人たちに話を聞いてもらい、数ヶ月を過ごしたのちクラスが離れることによって自然消滅しました。ここからしばらく男性不信となり、好きな人がどうの、といった話に身構えるようになります。そして、いっときの救いだったはずのリストカットが、その後も続いてしまうようになりました。この話は別の記事にまとめる予定です。



正直なところ、漫画みたいな話が自分に降りかかるとは思っていなかったし、その一方で漫画みたいな明確な救いなんてひとつもありませんでした。
なんとかサバイブできたのは「別の環境(上級生あるいはブログ)に逃げたこと」と「自傷によって精神のバランスを保ったこと」というのも、前者はよいとして後者は明らかに悲しい。21歳のとある転機まで、後ろ暗いものを抱えたまま生きていました。

当時の私のような思いをしているティーンが一人でも少なくなる時代を日々願っています。