せきららキララ

木ノ子が生い立ちとか色々と自分語りするだけのブログ

生きるために切り開く

※警告!今回の内容も自傷行為についての記載があるというかそれメインなので、人によってはフラッシュバックを起こされる可能性がございます。ご留意くださいませ。


「いじめられてどうにもならなくてリストカットしてました」という話は前回の記事
kinoko-konohanadou.hatenablog.com
で触れましたが、考えてみたら私は小学生ぐらいの頃から軽度の自傷行為を行っていたなあと。髪の毛を抜いたり、下唇の皮を剥いだり、爪を噛みちぎったり、爪の両サイドの皮膚をもぎ取って裂いて出血させたり、熱したドライヤーを皮膚に押し当てたり。しかもこの手の軽度のやつは爪噛みとドライヤーを除いて今でも治ってない。
あんな小さな頃に自傷行為を繰り返していた引き金になっていたのは何なのか?と記憶を手繰り寄せてみると、おそらく母からの「かくあるべき」というプレッシャーと現実の自分の姿や気持ちとの乖離を埋めるための自罰的な行為だったのではないかと推測されました。人のせいにしてごめんね。でも小学生って自分で何でも責任取れるほどの力がないからさ。


小学生の頃の小さな自傷行為については特に人に知られてはいなかったものの(爪噛みだけは母にバレてしばらく寝るときにも手袋着用を義務付けられ無理やり辞めました)、中学生のとき私がリストカットをしていたのを知っていたのは4人いました。うち2人は同じようにリストカットをしていた子、残り2人は私から打ち明けた子。前者については私から何かを言った訳ではなくあちら側に気づかれたという感じです。始めた頃は冬服だったのに、見られてるもんですねえ。同類だからか。その2人はいじめられていた訳ではないですが、家族とうまくいっていなかったり、友人との間にどうしようもない隔たりを感じていたりといったわだかまりを抱えていたようです。私とは違ってカミソリを使っていたものの、2人とも死にたいという訳ではなく、私と同じで「切ると心が楽になる」という理由でした。

いわれのない暴力を受けていたとき、死にたくなかった訳ではないんですよ。でも手首切ったぐらいで簡単には死ねないことぐらい13歳でも分かってた。だから飛び降りのイメージをしていました。
当時吹奏楽部で一番練習熱心だった私は、朝練も土日練も真っ先に職員室へ音楽室の鍵を取りに行っていました。早朝にひとりで音楽室にいるのは何も不自然ではないという立ち位置を利用し、校内で一番高いところにある音楽室の窓から飛んでみようかなあ、と思ったことはあります。でも私音楽室好きなんですよね。吹奏楽も。それで踏みとどまっていたところはあります。死にたい、という4文字は言ってしまえば「解放されたい」、すなわち「こんな痛々しい思いをせずに生きたい」なんですよね。


…話があっちこっちに散らばり始めたぞ。

さて、前回の記事で書いたとおり、中学2年になって主犯の男子とクラスが離れたことで、暴力は収まりました。しばらく自傷行為も鳴りを潜めていたのですが、夏休み前のとある日の寝る前に、体育で使った水着を洗濯機に入れ忘れるという小さなミスを家でしてしまいました。次の日も体育あるのに。しかもちょうど母親の機嫌が非常に悪かったようで、「何でこんなこともできないの」と罵倒されながら叩かれてしまったのです。

ーー叩かれたことであの日々がフラッシュバック。
逃れたい一心で衝動的にテープカッターを手に取り、もう夏服で隠せない季節なのに何度も手首にそれを突き立てて手前に引いてしまいました。
バレる、というのに気づいたのは、ひとしきり手首を切って気持ちが落ち着いたあと。取り急ぎ絆創膏を貼ったものの、翌朝に母に「それ、どうしたの」と聞かれる訳です。「蚊に刺されたとこを引っ掻いたら傷になった」という苦しい言い訳でその場を逃れたものの、咎められるのではないかという恐怖感でいっぱいでした。

学校に着いて、先述の自傷仲間(!?)にこのことを話すと、1人は「私はこないだ親にバレたけど、自分の気持ちを正直に話したらなんと親も昔同じ事してたってカミングアウトされて、辛かったよねって言われて泣いちゃった」と答え、もう1人は「私は絶対に言えない。帰り道に猫に引っ掛かれたとか、トゲが刺さったとか言い訳する。どうせ分かってくれないもん。包帯や絆創膏だとバレやすいから腕時計とかリストバンドとかブレスレットで隠すのはどう?」と答えました。
正直なところ、前者の子のような展開にはならないだろうと思って後者の子のアドバイスを参考にしました。でも家で母に見られる見られる。父は全く関心なし。一度入浴前に母がやってきて「風呂入るなら絆創膏剥がしなよ」と言われ、ミミズ腫れ程度まで治ってきた傷跡を見られ「本当にこれ爪で引っ掻いたの?なんか金属で擦ったみたい」と言われて心臓が飛び出そうになりましたが「本当だよ」とごまかしました。

ただ、それからというもののニュースやドラマで自傷行為や自殺未遂の話が出るたびに母から「手首切ったぐらいで死ねる訳ないのにバカだよね~、傷が残って人に噂されるだけじゃん」「自殺未遂した人って、これから先ずっと周りに『自殺未遂した人』っていう色眼鏡で見られるんだよ。可哀想だけど愚かだよね。家族にも迷惑かけるしさ」といった感じで遠回しに「私が手首を切って自殺未遂をした」という体のような遠回しな責め方をするようになりました。私にとってはむしろその言葉で手首を切りたい気持ちが膨らんでいたのに。夏休みで学校に逃げることもできず(コンクールに向けて一日中部活があったときはいいのですがお盆休みがキツかった)、どうしようもなくなって、私からカミングアウトをした友人の1人にメールで相談すると「お母さんは木ノ子の口から正直な気持ちを聞きたいんだと思うよ。本当に死んじゃわないか心配してるんだよ。これからずっとそうやって責められるのは苦しいだろうから、全部打ち明けてみたら?友人の私がこうやって受け止められてるんだから、家族ならきっと大丈夫だよ」と言われました。
確かにこの状態が続くのは苦しい。でもうまく言える気がしない。家族ならきっと大丈夫、というのもうちの場合は不安だ。母を前にして落ち着いて言葉を選べる自信もないし、遮られるかもしれない。そこでノートをちぎって手紙を書きました。まず、これで死ぬ気はないこと。理解しづらいかもしれないけど、自分を傷つけると心が楽になること。何かを参考にして始めたのではなく気がついたら衝動的に始めていたこと。それから、心配かけるならもうやらない、と書いて、テープカッターを捨てました。寝る前に母に「これ読んどいてね」と渡して自室へ。きっと明日の朝は丸く収まっているだろうと信じて目を閉じました。


翌朝。いつもなら朝ごはんの時間に合わせて母が起こしにくるところ、暑さで自然に目が覚めました。時計を見ると10時。我が家は休日でも8時半頃には朝食をとります。なぜこんな時間まで寝ていた…?とバタバタと階段を下りると、私の分の朝食は用意されておらず、既に食器棚には洗われた母と父のお皿やコップが置かれており、母は掃除機をかけながら「もう勝手に生きなさい」の一言を最後に、私を完全にいないものとして扱うようになりました。話しかけても無視され、昼食も夕飯もなし。


え?何これ?

あの手紙で気持ちをちゃんと伝えれば対話ができるものと思っていたのは甘すぎたようです。とりあえずはシリアルを適当に開けたり備蓄のカップ麺を食べたりしてしのぎました。父はそれに気づいていないのか、気づいていても異様な空気を察して何も言わないのか、無関係を貫いていました。
部活に逃げることもできず、気持ちの行き場がないのに昨日テープカッターを捨ててしまった。とにかく友人にこのことを伝えたかったのでPCを開きました。しかし、うまく起動しない。何度か強制終了しても同じ。父に相談すると「これはたぶんバッテリーが壊れたな」。
ご都合主義のフィクションみたいなタイミングの悪さ。何もかもに見放された気がしました。14歳の夏、ぷつんと糸が切れた瞬間です。

さらに間の悪いことに、夏になるより前に母がお盆休み中の夜回り先生(水谷修さん)の講演会の予約をしており、100%リストカットの話あるやんと思って拒否したかったけど無理やりそれに連れて行かれました。でもこれで少しは私のどうしようもない気持ちを分かってくれたりしないかな?とわずかに期待するも、終わってから車の中でも終始無言。
時が経つにつれて母からの無視もだんだんとなくなり、部活も再開し、このお盆休みのことは「なかったこと」になりました。


ただ、この経験を受け私は「自分の気持ちを正直に伝えたとき、相手がどんなに自分に近しい人間であっても、完全に拒絶されることがある」という恐怖を常に持ち続けることになります。それからぱったりとリストカットをしなくなったのも、テープカッターを捨てたこと以上にこの件を思い出して吐きそうになるのが理由。わだかまりがなくなったとか正しく依存症を脱却したとかではなく、恐怖で無理やり封じ込めた、という結末でした。


うちの中学はド田舎で平均学力も高くなかったので、その後は知り合いがほぼいない市街地の公立の進学校を受験して合格、高校時代はいじめられたエピソードも自傷行為の経験もひた隠しにすることで、比較的楽しい日々を送ることができました。でも高1の秋ぐらいまでは傷跡が残ってたから、バレないか怯えてはいたかな。誰にも直接言われることはなかったけど。


大学生になって親元を離れてからは、実はちょいちょい足を切ってました。いわゆるレッグカットというやつですね。手首は簡単にバレるから。私の場合SOSのサインでも自殺したいでもなくただただ自分に傷をつけて痛みを得ることで楽になりたかっただけなので、腿や脛、足の甲なんかを不規則に切ることで、バレても「怪我をしただけ」と言えるようにしていました。中学生の頃は知らなかったんですが、身体に傷がつくとβ-エンドルフィンというまあ要するに鎮痛成分というか脳内モルヒネの一種が出るらしいんですよ。体質上お酒もタバコもできないから、ストレス解消の手段がティーンの頃からさして変わっていないという大人。


たぶん、しないで済むならそっちの人生の方が良いのかもしれません。でも、それにすがるしかないならすがればいいと思う。衛生面だけは気を付けてね。
周りにそういう人がいたら「痕が残るし、やめた方がいいよ」「心配だからやめてほしい」という言葉ではなく、一旦当事者を受け止めてあげてほしい。やりたくてやってる訳じゃないし、やめられる環境ならとっくにやめてるはずだから。
私は14歳のとき、肉親に否定され無視されるという恐怖で自傷行為から一時的に遠ざかったというだけなので、むしろこの恐怖が人生で一番のトラウマになってしまって21歳のとある日まで後ろ暗いものを抱えたまま生きていました(この言い回し、前も使ったことあるぞ…)。

肌の傷跡は治っても心の傷は治らない。道徳の授業みたいですが、これ本当ですよ。でも、自分には他の大多数の人と違って治らない傷がある…ということを殊更気に病む必要はないと思います。痛いけどね。今それで悩んでる人は、いつか「それも自分で、だから何?」と思えるようになる日がくるといいなあなんて、どこにいるのか分からない誰かに対して祈っています。