せきららキララ

木ノ子が生い立ちとか色々と自分語りするだけのブログ

なんでもできる!なんでもなれる!

ハグプリ観てないけど最初から観とけばよかったなーと思っている27歳児、どうもわたしです。

前評判の「魔法少女が赤ちゃんを育てる」という一点から「それもうおジャ魔女どれみ#で観たし、このご時世に女の子が子育てで母性本能目覚める展開とかやめてくれ~」と決めつけていましたが、主役3人の物語のほかに女性型アンドロイドが小学生の女の子との愛情をきっかけに2人でプリキュアになり、今日の放送では男の子がプリキュアになり、敵はブラック企業で出動には稟議が必要という。面白さしかない。
観てない私がわちゃわちゃ言うのはアレなので、こちらの記事を紹介しておきます。
低スペックでも、「ありたい姿」をあきらめない。大人こそ「HUGっと!プリキュア」を観るべき理由 | ハフポスト


とはいえ、最近なんかアニメというかテレビを観る気力がなくて、仮面ライダージオウやらジョジョ5部やら前々から楽しみにしてたやつも録画が溜まってるんですけどね…



はい。
今回はいつぞやの「夢」の話の続きのようなもの。「願い」や「祈り」の話をしましょうか。

※いつぞやのやつ↓
kinoko-konohanadou.hatenablog.com


数年前、まだ私が修士課程に在籍していた頃、とある教授がおっしゃっていたこと。

「人の役に立とうと思って研究をしても大抵はいい結果が出ないし、人の役に立てなかったことで心が折れるからやめた方がいい。ある現象を究明したいという知的好奇心でひたすら研究に打ち込んだ先に掴んだもので、結果として人の役に立つことがあるというだけ」

当時、基礎研究といういわゆる「それ何の役に立つの?」と言われがちな地味~な研究をしていた私はある意味その言葉に救われていたといえばいたのですが、「人の役に立ちたい」という願い、あるいは祈りのようなものを持つことは決して悪いことではないよなあ、と思いもするのです。というかどのみち論文のイントロに「この研究が何に寄与するか」は書くしね…


そして現在私はアカデミックな世界から離れ、とある民間企業の情報システム部門で働いているのですが、できれば今後は転職なり何なりして「セクシャル・マイノリティをはじめとした、可視化されづらい"生きづらさ"を抱える次世代の人(子ども、若者)に寄り添う、あるいはその"生きづらさ"が少し楽になるような手助けをしたい」と漠然と考えているものの、具体的な手段となるとあまりパッと思い付かなくて何も動けていないという状況です。まあ、何もなくはないのですが…

ひとつは、上記の「頭蓋は夢幻の水槽」とかいうポエミーなタイトルの記事で書いたように、フリースクール的なところで、学校に居づらい子どもの居場所になって、勉強を教えること。

もうひとつは、芸術、創作です。
絵でも文章でも音楽でも、アクセサリーをはじめとした形のあるものでも。
「これがあれば現実のつらさを忘れられる」というものや「本の中、歌詞の中に私と同じような感情を持つ人がいる」といったような体験は、生きるための柱になりうると思っています。特に若年層にとっては。


ですが、それもさっきの教授が言ってたことが適用されるのかな、と思ったり。
大成してる芸術家は「とにかくこういうものを作りたい」という一心で技術を磨き、練り上げ、多くの人の心に届く作品を作り上げている。
「誰かを救いたい」だなんて、自分ひとり救えてないようなちっぽけな私がおこがましい考えで創作をしても、誰にも届かないんじゃないか。

…でも、じゃあその願いや祈りはどうしたらいいの?
神社やお寺に参詣すればいい?
それとももっと即物的な助けができるようにバリバリ仕事して出世して、募金箱やクラウドファンディングに自分の稼ぎを突っ込めばいい?



そういえば私は今までに合唱もピアノも電子オルガンも吹奏楽もバンドもやってきたけど、「特定の誰かのために」演奏をしたことはない。
「気持ちを込める」だけじゃうまくならないことなんて百も承知だったし、ただひたすら自分が表現したいものを表現するために練習して、技の引き出しを身につけようとしていた。
かといって格別うまい訳ではないけど…。

じゃあ、もしそこに「誰かのために」が加わっていたらどうなっていたんだろう。

さっき「自分ひとり救えてないようなちっぽけな私がおこがましい考えで云々」と言ったばかりだけど、その「誰かのために」という思いを「邪念」で片付けたくないな、と。
願いや祈りを込めつつ何かを表現したり創作したりすること自体は悪くなくて、「届けたい人に届かない」のが問題なのかもしれない。
練りに練られた大作じゃなくても、必要としてる人が世界のどこかにいるのかもしれない。

私自身も表現者やクリエイターの端くれではあるけど、この大SNS時代、「届ける」ことにフォーカスしてみるのもありなのかな、と思い始めてきました。
広報活動とはちょっと違うのかな。いや、広く宣伝することでキャッチされる確率を上げるというのは分かるんだけど、そっとポストに入れるような感じの何か…できないかなあ。


イデア募集中、と言いたいところだけど、自分の手で見つけ出すべきなのかな。


なんでもできる、なんでもなれる、それならサラリーマンからいっそ華麗に変身してみる?


…とりあえず少なくとも年内は現状維持を目標としつつ、会社には年明けを目処に体調を理由とした時短勤務を申し出ているので、給与は減るけど余った時間で脳をフル活用する所存です。


という意気込みのような記事を書いてみるなどした。有言実行できるかなあ…