尋常ならざる絆
という概念を大学時代の楽団の後輩が掲げておりましてですね……。
彼女はそれをしばしば男性同士の関係性(※いわゆるブロマンスやボーイズラブにとどまらず、憎み合う間柄だけどそれゆえ真っ先に相手のことを考えるみたいなのも含むっぽい)に当てはめることが多いのですが、私は自分の諸々(もはや言うまい)のせいか、女性同士の関係性に対して使いたい。
……が、パクりはよくない。
じゃあ何て言えばいいんだ!?
と思ったけど、私は「互いに同程度のベクトル」というより「一見強い絆で結ばれているようだが、その熱量や背景の重さが片方だけ段違いで、実は噛み合っていない」といった関係性の方が刺さる。
2018年に見た映画(旧作含む)はその、刺さるのが、多かったんですよ……。
熱量の多い側の台詞がもう切なくて切なくて。
「希美といられれば何だっていい。希美が、私の全部なの」
「だって、君の一番になりたいじゃん?」
「この気持ちを伝えなきゃって思うんですけど……でも、女の子じゃないですか」
「何でもあげる。ずっとそばにいる。弥生ちゃんは何が欲しい?」
「この涙のためだったら、わたし何だって捨てられるよ。命だって捨てられるよ」
リズと青い鳥、鎧塚みぞれ。
少女邂逅、富田紬。
カランコエの花、小牧桜。
真っ赤な星、安達陽。
リップヴァンウィンクルの花嫁、里中真白。
他にも、「21世紀の女の子」の中の作品によってはそういった関係性が描かれていたり、いなかったり。
ムーラボ2018長編部門観客賞「書くが、まま」の松木ひなのあたりもそうですね。
「百合」だと広すぎるし、コレジャナイ感があるんですよ。
リズと青い鳥に倣って「disjoint(互いに素)」とか?でもなんかこれだとあからさまにバッドエンドみたい。
ンー、いい案あればコメントください。
* * * * * *
さて、本題ですが。
そもそもこんな前置きを書いたのは先ほど「絶望的に噛み合わない」を経験してきたからなのでございます。
Twitter見てる人見てない人色々いらっしゃると思うので、発端となるツイート(ツリーも参照)を貼りますね。
twitter.comなんかもう全部母にぶっちゃけちゃおうかなという気が湧いている。今後何かしらの形でマイノリティの支援をしながら生きたいこと。そのためには今のところ東京に住んでるのが都合がいいこと。その根底にあるのは自分もマイノリティであるということ。でもすぐには動けないから時間とお金が欲しいこと。
— 木ノ子(屋号:木ノ花堂) (@konohana_dou) 2019年1月10日
もうちょっと遡ってダイジェストすると、
今秋あたりから自分の本当の気持ちやら本当にやりたかったことやら今の仕事の将来性やらに疑問を持ち始める
↓
主に午前中だんだんと不安症状が出始め、集中力の低下などで仕事のミスも増え、12月下旬から出社できなくなる
↓
年末年始の帰省もしんどくてパス。ただ病状を知っているのは母のみで、他の親類には「1/2に仕事がある」という体で誤魔化し
↓
祖父母がこの連休にどうしても会いたいとせがむので弾丸帰省
↓
必然的に母と今後の話になり、地元近くに帰ってこいという流れになるはずなので、覚悟を決めて自分の考えを言っちまうか
的な。
そして結果のダイジェストとしては、まずは病状と次やりたいこととしばらく休む時間が欲しいことを伝えて、それでも地元に帰ってこいと言われたら東京に残る最大の理由としてカミングアウトしようかな……という感じで最後の砦にしておこうとしたら案の定そういった展開になってしまったので言わざるを得なかった、という感じです。
療養や転職についてのやりとり。
母「私も更年期で鬱々としてたときあるから分かるけど、寝てても何も解決しないからとりあえずちゃんと朝早く起きて掃除なり炊事なりして、早めに転職サイト登録しときなさい」
私「そのエネルギーが今ないんですが。。。会社のメールすらろくに返せてないのに……」
母「まあでも早めに復職するなり次の職場決めるなりしてくれないと私の食欲が落ちてっちゃうよ。今私に何かあったら動けるのはあんただけなんだから、早く安心させて」
あなたの鬱と私の鬱は違う。
そしてなぜあなたの心の平穏のために無理しないといけないのか。
そして、セクシャリティの件について母が言ったこと。
「どっちでもいけるんだったらまだ新宿二丁目とかそういうところはやめときなさいよ」
「女性だけを好きって訳じゃないんだから、いいことだよ」
「まあ私は理解がある方だからいいけど、他の人には嘘つかないといけないね」
「自分でどうにかしてください。ご自由に」
ごめんなさい。既にレズ風俗利用してますし、今好きなのは女の子です。
理解があるって何なの、全然理解できてないじゃん。全国のレズビアンに謝ってくれ。
……と、言い返せなかった。
私、母に対してキツく怒れないんです。
14歳の頃の自傷カミングアウト後しばらく無視されたトラウマが未だに残ってて怖いからか、それを受けて意思疎通を諦めてるからなのかは分からないけど。
もちろん自分が現状親不孝で、多少わがまま言ってるのは分かってる。
女の一人っ子だし昔自傷してたから遠くに置いとくのは心配なのも分かる。
自立するまで育ててもらった恩もあるし感謝もしてる。
でもなんだろう、予想以上に噛み合わない。
まあ親子と言えど他人だから当たり前っちゃ当たり前だけど、悲しいというかむなしくなった。
特にセクシャリティの件は、現在母が子どもを相手にする職業やボランティア活動をしていることもあるのにこの対応だったので、映画「カランコエの花」のDVDもう1枚買ってぶん投げたろかとも思ったけど、きっと「私は理解があるからこんなことはしない」っていう強い思い込みを覆せないんじゃないかとも考え始めてつらくなるなどした。
勘当されてる訳でも虐待されてた訳でもないけど、母がしんどい。
母と仲が悪く半別居中で、家庭にあまり関心がない父にも頼れない。
きょうだいもいない。
人が生きていくうえでの最後のセーフティネットが地縁や血縁、みたいなの本当にやめてほしいな。
こういう感じの形で寄り添える人を見つけられたらいいのに。
早く楽になりたいよ。
死にたいんじゃなくて楽に生きたい。