せきららキララ

木ノ子が生い立ちとか色々と自分語りするだけのブログ

頭蓋は夢幻の水槽

…タイトルをどこまでポエミーにできるか選手権みたいになってる気がしなくもない。
今回は「夢」についてのお話です。


現代日本においての「夢」、あるいは英語の"dream"はいずれも①寝ている間に見るアレ、②将来の希望、という多義語ですが、今回は②の自分語り。
どこぞで聞いた話によると、元々の和語の「ゆめ」は①の意味だけで、後々英語の"dream"の概念が入ってきて統合された…らしいけど出典が不明瞭。私は割と寝てるとき夢は見る方なんだけど、夢診断とかあんま信じてないからそもそも話ができないね。全体的に小さい頃からうつぶせでスイーッと空を飛ぶ夢が多めで、最近は京都の謎の雑貨屋(実在しないけど三条四条界隈に現れてるから京都なのは確定)が出てくることや、見知らぬ学校が舞台で中学の同級生が出てくることが多い。だから何。



「いつしかふわふわした夢をリアルな目標に置き換えて 扉を明確にしたのに道に霧がかかる」

…というのは、高3の頃に声楽やってる友人とデュオを組んでたときに、その1年の学校のテーマソング的なやつ(うちの学校はそういう公募があるんです)として作った曲の歌詞です。作詞:私。恥ずかし。

でも高3ってまあ受験生なのでリアルに「夢=なりたいな~的なふわっとしたやつじゃなくて将来なりたいもの」として考えて進学する大学や学部を決めないといけない時期なんですよねえ。

いつぞやにTwitterで叫んだんですが、うちの家系は国家資格取得者やら地方公務員やら「手に職」系の人間がわらわらいたので、小学生の頃からピアニストや漫画家になりたいと言うたびに怒られ、中3のとき部活で唯一のクラリネットの同級生がクラスの人間関係を機にうつ病になったことをきっかけに、「医師になる」と言い始めるまでろくに自分の夢を肯定されたことがなかったんですよ。

でも考えてみたら「夢」って別にイコール職業じゃないよな、と。◯ヶ国語話せるようになって世界一周してみたいとか、周りを笑顔にできる人になりたいとか、毎月1回は叙◯苑に行けるぐらいの収入を得たいとか。
そういうふわっとした「ありたい自分」を「なりたい職業」にシフトして固定化することがなんか窮屈でこんな詞を書いてしまったんですが、これって両立させないといけないことだったな、と最近思い始めてきました。

「どの職業に就くか」と「どう生きたいか」の両輪。私は完全に後者を蔑ろにしてきた。考えないようにしてきたんです。

というか、そもそも中学生の頃の諸々(もういちいちリンク貼らないけど過去記事参照)の経験から、自分は30歳ぐらいまでに自殺か大地震で死ぬと思ってたんですよ。だから、文句言われずに生活ができていればいい→職業のことしか頭になかった。

ただ、医師になると言った数年後に「やっぱ病気になる前から病気を予防できるように食に関わる仕事がしたい」と考えていたのも事実です。それでちゃんとそれなりの大学のそれなりの学部にも受かったし、大学院の入試もパスしたし。

でも、就活がめちゃくちゃ苦痛でした。
なりたい自分、ありたい自分がない。見えない。
とりあえずこういうことができたらいいな、しかないから、目星をつけた企業の説明会で「うちはそういうのはやってないね」と言われてふらふらと業界ごと迷う。
今までに身につけた作文能力をフル活用してエントリーシートに嘘っぱちの熱意満々の志望動機を書いても、当然ながら面接で皮を剥がされる。

研究室に顔を出しつつもなかなか内定が出ない私に教授は「あなたの根底の人格に問題がある」とか言うし、なんか一番やばい時期に彼氏にフラれるし、京阪電車にフライアウェイ寸前でしたよほんまに。

で、志望動機を聞かず課題を解いていくタイプの選考をした今の会社たった1社の内定が出るのに半年かかりました。それ以上かかってつらかった人も世の中にはいらっしゃるかと思いますが、これでも教授に人格ボロクソ言われたので凹みまくりですよ。しかも平均よりも長引いた分、修了式前日まで実験しないと卒業させないと脅される。その後はウイダーインゼリーを燃料に、機械のように修論研究してたわ。

そこからしばらく、本当にほんの数ヶ月前まで、「ありたい自分」なんて微塵も考えずにただ必死にしがみついてたし、しがみつく中で他社のおっさんとの人間関係上のあれこれでうつ病になるし、その案件から逃れた先でもキャリアプランとかライフプランとか聞かれるし、なんなんもう。

自分の得意なことや好きなこと、やりたいことが仕事にガッチリはまってればそれに越したことはないんですよ。あるいは、その仕事をすることで「ありたい自分」に近づけるとか。
だいぶ前に話題になった"ikigai"の図なんかがまさにそれですね。 www.weforum.org
※本当は4集合のベン図としては正しくないんだけどねこれ。とインテリ理系ぶってみる。訳す気力はないので、日本語版知りたい人は適当に「生きがい 図」とかでぐぐってみてくださいな。


自分はというと、ぶっちゃけ今の会社の属する業界には全く興味がない。
ただ、仕事そのものがつらい訳ではない。めちゃくちゃ楽しい訳ではないが。
会社の環境自体も嫌いじゃない。比較的若い会社なので色々とフレキシブルだし、今の上司は非常にロジカルでリベラル。心強い。
技術を身につけることも、自分の市場価値を高めて今後別の職業になったときに使えるから悪くない、と合理的な理由がある。

…けど、ここで技術を身に付けようとか自分の価値を高めようとか思えないんだなあ。ぶっちゃけ興味がない。
かといって、興味のある生物畑でなんやかんやするのも、研究室ケツまくって逃げてきたようなもんだから今さら戻れない。

…と、ここまで考えて「あ、また私ありたい姿に蓋してる」となる。


セクシャリティについての記事に書いたとおり最近自分が色々と吹っ切れたこと、「女」についての記事に書いたとおり性性堂堂という動画上げ集団を発見したこと、いじめについての記事に書いたとおり中学生の頃にブログで見知らぬ人に助けられてたこと、このへんにヒントがあるのでは、と考え始めてきました。
あと、自分で言うのもアレですが、割かし人間関係に対して「深入りもしなければ拒絶もしない」タイプで(悪く言うと親友ができづらい)、大切なあの子にも「周りの風評に流されることがなくて、人に対してフェアに接するよね」と褒められたので、こういう性質も活かしたいなと。


そこで考えついたのが「自分のセクシャリティや学校の人間関係、親子関係なんかで悩んでて行き場のない若者(主に中高生)をそっと支援できるようになりたい」ということ。

スクールカウンセラーとか養護教諭とかの「学校の中の人」じゃなくて、できれば駆け込み寺的なアウトロー(!?)として。
具体的な手段はまだわかんないけど。
私、一応学歴だけはあるので、フリースクール的な寺子屋的なのをやるのもありかもしれない。それをするための土地がなくても、最近はWeb会議とかもできるしね。


…でも、これってお金にならないんですよ~~~~~~!!!!!


だからさっさと「お金を稼ぐための仕事」と「"ありたい自分"としてやる仕事」の二軸でも生活できるような社会になってくれ!片方のフルタイム労働じやダメなんだ!ベーシックインカムとか副業とか整備して!
そうでもしないと、夢を語れないし歴史を刻めないし地球規模で考えられない!(京都の人しか分からんネタでごめんなさい)

現実に押し潰されて、毎日食べるために稼ぐのに必死で、「ふつうのいきかた」にしがみついて、ありたかった自分やら心の底の夢をなかったことにするのは、病気になるよ。。。

…まあ私も一時は「ふつうのいきかた」に憧れてたけどね。 うだうだしてる間に同級生は昇進して上司としてのあるあるを語り出したり、結婚して子どもを持ってその話ばかりになったりして、置いてけぼりになるのかなあとか考えちゃって。



ところで今週末、新しい上司(いい人)との面談予定入れられて「キャリアプランを聞かせてくれ」って言われてるんだけど、これを正直に語ってしまっていいものなのだろうか。
具体的に何も動けてない口だけマンだけど…

でも何言っても誰も責任とってくれないもんね~~~私の場合は家族に頼るのも難しいし…




ということで、"夢=ありたい自分"になるための策を練る時間がほしいなあ、そしてそれを実現しつつもマネーに困らず暮らせる社会になってくれないと困るなあ、というお話でした。「わかってて低賃金の仕事してるんでしょ」っていう言葉が大っ嫌いなのです。


ンー結論が出ない…!けど終わる!