せきららキララ

木ノ子が生い立ちとか色々と自分語りするだけのブログ

ハッピーアイスクリーム

タイトルから、映画「リズと青い鳥」の話題だと思いました?残念!
最近円盤が届いたので、いつかその話もしたいと思っていますが、私の中にあるひとつの感情についてつらつら書いただけの記事でございます。 とはいえ短め(当社比)。


* * * * * * *


溶けたい、と思うことが多い人生を送ってきました。


固体から液体になる場合、正確には「融けたい」んだろうけど。
溶け込みたい、溶け合いたい、と思うときもあるのでこちらの漢字を使わせていただきます。




いつからそんな風に考えるようになったのかはあんまり覚えてないけど、少なくとも小学生ぐらいのときからぼんやりと考えてはいたと思う。
記憶の中にうっすらとあるのは、ある寒い夜に毛布をかぶってまどろんでいるとき、ふと手足の感覚がなくなって毛布とひとつになってるような気がして、それがすごく心地よくて。
私が私じゃない何かになっていく。私が消えて別のものに包まれて埋もれていく。溶け込んでいく。

昔から、自己主張が激しいとか自意識過剰とか性格のカラーが強すぎるとか言われる一方で、"私"を捨てたくなるときがよくあるんですよね。他者から期待される"私"像のとおりに生きるのに疲れて、形をなくしたくなる。

これは「死にたい」とは別の感情だと思っています。変身願望に近いのかな。
映画「ターミネーター」に出てくる、液体金属の体。小さい頃に金曜ロードショーで観たそれが私には衝撃的でした。自分の姿形を自由自在に変化できるなんて。 「ポケットモンスター」シリーズのメタモンも、金属ではないけど同じような感じですね。とろとろぷにぷにした体を生かして色んなポケモンに変身できる。いいなあ。



性格上あるいは小中学生の頃に受けたいじめの経験から、他者と関わり合うにあたって断絶を感じることが多く、自分の周りには薄い膜のようなものがある…というような感覚も続いています。
そんな中で「ようやく出会えた」と思えた人、まあ要するに好きな人に、いっそ溶け込んで混ざりあってしまいたいと思うこともありました。

やや話が飛びますが、深海に生息するアンコウの一種は、オスがメスと出会える可能性が非常に少ないので、体の小さなオスが体の大きなメスの体に噛みついて、そのうち生殖機能を残して血管から何から何まで同化してしまう…というのを動物番組で見たときも、先ほどのターミネーターと同じような衝撃を受けました。

でも人間はそういう訳にはいかないし、愛する人と抱きしめ合うたびに自分の輪郭が余計にくっきりはっきりと自覚できてしまう。それが何となく悲しかった。

いきすぎた同化願望の裏には自分に対するある種の諦めや容姿へのコンプレックス、あるいは自殺願望もあったかもしれません。



考えても仕方のないようなこと。どうやったってその通りにはならない、どうしようもない願望。
こんなこと人に言ったら更に断絶が深まって、それがたまらなく痛くて自分の形をなくしたくなって、手を差しのべてくれた誰かに依存して溶け込みたくなって…というループに嵌まりそうだなあとずっと胸の奥に沈めてきましたが、抱え続けるのがちょっとつらいなと感じてきたので、ここで吐き出させてもらいますね。
誰が見てるのか分からないけど。


同じようなことを感じながら生きてきた人、いたりするのかな。

最近知ったシンガーソングライターであり"超歌手"大森靖子さんの「オリオン座」の歌詞の一部「心の黒い穴は同じ誰かと繋がる」でじわっときた私がお送りいたしました。おしまい。

youtu.be