せきららキララ

木ノ子が生い立ちとか色々と自分語りするだけのブログ

軽口のバラード

何だってわかる、自分のこと以外なら。




…まあ実のところ「何でもは知らないわよ、知ってることだけ」なんですけどね。

はいどうも。物語シリーズ化物語しか読んでないアニメ勢、フランソワ・ヴィヨンの詩もこれしか知らない木ノ子です。

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元々このブログ自体は「生い立ち自分語り」という前提で立ち上げたのですが、今までは各種エピソードという形だったのを、主に「進路選択」にフォーカスして遡ってみようかな、というのが今回の記事です。
チラシの裏の極み。

そして何だか今回は文体がいつもと違います。


* * * * * * 


※高校までは「これしかなかった」と思ってるので割愛。



大学受験。

京都大学という選択自体は間違っていなかったと思う。一人暮らしも含め。
が、学部と学科はこれでよかったのか?とたまに思うことがある。

農学部はいわゆる実学であることもあり、世の中に出て何か人の役に立つものを生み出すことを前提とした「必修科目」が多く、科目選択の自由度が比較的低い(特に3年次)。
また、雰囲気は牧歌的かと思いきや、案外パリピ寄りというかスクールカースト上位の人間も多い(※あくまで京都大学内で、の話である。さらに言えば、同じキャンパス内の理学部と比較して、とも言える。たぶん経済学部とかには太刀打ちできない)。
私は高校ではそれほど陰キャラではなかったものの、この集団においては完全にスクールカースト下位のメンタリティだったので、入学直後の学科全体(上級生や先生を囲んでの歓迎会など)の雰囲気には面食らったものだ。

余談だが、(私の学科の私の学年特有かもしれないが)女子の外見レベルが比較的高いというのもある程度コンプレックスを刺激していた。地元には文系大学か工業大学しかなく、「農学部の学生」というものを見たことがなかった私の描く農学部生像は、ロー○ーズファームという服飾店の前で母が呟く「なんかこのお店の服、農学部っぽいね」という偏見か、漫画「もやしもん」に出てくる少数の女子学生だけだった。しかしながら、実際のところローリーズ○ァームを着ている女子学生など皆無であった。(繰り返すが、他の学年や他の学科はそうでもないかもしれない。)


閑話休題


では何学部の何学科に行くべきだったのか、と考えると、同じキャンパスの隣の建物にある理学部の生物学科である。

実際に理学部生物学科の知人がいた訳ではないので内情を知らぬまま語るが、理学部は比較的取得科目の自由度が高い(ように見えた)。
字面だけ見れば牧歌的だが案外色々と急かされる農学部に比べ、理学部は俗人的でない異世界というか、時空間の流れが他学部と明らかに異なる(ように見えていた)。農学部では「いかに楽して必修科目を揃えるか」といった少々下世話な考え方をする者が(私も含め)多かった(そうせざるを得なかったとも言う)が、理学部生は好きなこと(研究のみならず、創作活動など)に没頭している人が多いという印象だ。
こちらの方が居心地が良かったのではないか?と考えることもあるが、後の祭りである。
(理学部の方が「物理と数学の二次試験の得点がべらぼうに高い」という頭のぶっ飛んだ受験生が多いので、こちらを選択していた場合不合格だったかもしれないが)


さて、次に考えるのは研究室選択と大学院進学。

3回生の秋を前にして「これから定期演奏会の練習増えてくし、院出といた方が就職もしやすいやろ」というクソ甘えた考えで学部生時代に全く就職活動をせず大学院進学を決意し、そして見事入試(倍率2倍強)に合格してしまったのが私である。
(演奏会の時期については私の所属していた吹奏楽団の都合だが、学部問わず後者の考えで進学した者も少なくはないのではないかと推測している)

4年次の研究室選択については、分野の興味や雰囲気から2つの研究室で迷ってはいたのだが、片方の研究室に私が手を挙げると定員オーバーで自動的にジャンケンとなり負けたら全く興味のない分野かつスパルタと噂の研究室へ即配属…ということもあり、リスクを恐れた私はもう片方の研究室(定員余裕あり)へ手を挙げた。
ジャンケンリスクの他の理由としては、後者の研究室の分野が比較的得意(本来3回生配当の科目で3回生でも単位取得が難しいと言われていたものを2回生のとき単位取得)だったのと、楽団の1つ上のめちゃくちゃ優秀な先輩が所属しており、何かあったら真っ先に頼れると思っていたからというものもある。
…忖度と甘えで研究室を決めたことがこの後の地獄への道へ繋がるとも知らずに。

※地獄については「選択の結果」の話なので割愛。



ここでのルート分岐については

①3年次秋冬に就活し、学部卒で就職する

②(①がNOの場合)研究室選択で忖度しない

があるが、おそらく「研究職に就く」という固定観念に取り憑かれていた私は①を選ぶことはしなかっただろう。
(実際に同じ学科で①を選んでいた学生は1割に満たなかったうえ、この時期は毎日の学生実験も長時間を要することが多く可処分時間が少なかったため、情報収集を協力して進めるといったこともできなさそうだったし)

しかしながら、ぶっちゃけ今となって考えると、学生実験はさほど楽しくはなかった。が、そのときは「レシピ通りに」「チーム単位で」やっていたからそう感じていたのであり、卒論研究や修論研究は自分で考えて自分の手でやるからきっと楽しいのだろう、と楽観視していたのだ。
まあ卒論研究はその通り学生実験に比べ「自分の手でゼロから始める」というのが楽しかった。ゼロから始めるので必ずイチ以上にはなるし。
しかし、ご想像の通り、イチからニやサンにするのが難しいのである。修士1年の夏頃から成果が全然出なくなり、というかうまくいっていると思っていた実験で再現性が取れなくなり、先生に相談しても返答が要領を得ず、親身な姿勢も見えず、実験のリカバリープランをプレゼンしても金銭的な援助(試薬や機器など)を得られることもなく、それなのに土曜にもコアタイムがあるという状況で、全く楽しくなくなっていった。
私のセルフモチベートが足らなかったとも言えるが、実は②のルートだと科研費が潤沢な研究室だったので、修士課程におけるやる気の減少ならびに成果不良は回避できていたのではないか?と甘えた懐古に浸ることもある。

※ちなみに、この「成果が出にくくなった」というのは先述の「地獄」のほんの一部である。多くは語るまい。




最後の分岐は就職活動。


私は元々、卒業後は「食で病気を予防する」ということに携わるのを目標にしていたのだが、様々な食品メーカーの説明会を聞いてもあまりそういったことに注力しているところがなかった。あったとしても超大手でトクホに研究費を充てられるほどの資金力があるところか、乳酸菌研究を行っている一部乳業系ぐらいか。
むしろ医療機器メーカーで検査機器の開発に携わる方が「予防医療」に貢献できるのでは?と思ったり、漢方薬ジェネリック医薬品に興味を持ったりとぶれまくっていた。


が、「自分の理想」「自分の能力(専門性含む)」「その企業に求められていること」が面白いほどに噛み合わない。


入ってしまえばどうとでもなるだろう、という謎の精神でエントリーシートに思ってもないことを書き連ねても面接で化けの皮を剥がされたり、そもそもあんたの専門分野はうちでは無用の長物やで、と言われたり。

そんな中でも大本命の企業はトントン拍子で面接が進み、最終まで辿り着いたものの、最終面接で落とされる。

ここからはもうほとんど記憶にないレベルで、エージェント任せで「数打ちゃ当たる」をしていた気がします。
だいたい50社ぐらいエントリーシート書いて、最終面接までいったのが全然毛色の違う4社、内定が出たのが1社。

その1社は私の専門分野や理想とはかけ離れた業界(IT系)だったものの、教授の「早く決めないと修了させない」という言葉と、もう今からエントリーシートを書く気力がないことから内定を承諾。
教授は就活が長引いた学生や研究開発職(理系専門職)に就けなかった学生を「就活に失敗した人」と呼んでいたけど、別に専門分野じゃなくても研究生活で培ってきた論理的思考やプレゼン能力、資料作成能力や執筆力なんかは仕事に活かせるし!と腹の中で舌を出しつつ京都を発ち、東京にて完全週休二日制の楽しい暮らしを送り始めたのが今。



今?

月曜から金曜まで病欠したよ。
布団から出ようとすると動悸がするからさ。



まあ、ざっくり言うと、この仕事に興味ねえんだわ。
勉強はそれなりに得意だけどそもそも学習意欲が湧かないから何も身につかない。
情報系出身でスタートラインが違う人がわらわらいる中で同レベルになるのにどんだけプライベートを犠牲にせなあかんねんというお話ですよ。

ただ、割とリベラルでロジカルでフラットな人が多いのは助かってる。
私も面接を受けていた大手企業に就職した友人から、旧態然とした上下関係の話とかセクハラの話とか聞いてるとうわっとなるので。



体力ない、メンタル絹豆腐、就労3年目にしては対したスキルや資格なし(一番長く携わってきた業務が社内システムの運用だったので、独自の知識ばかり)、という状態で転職活動ができようものか?

……前者2つのせいで布団から出られない日がかなりあるというのがまず無理と言える要素である。面接ブッチしまくって自己嫌悪で鬱のループに入る姿が目に見える。まずは休養取りたいところですな。もはや時短では賄えない。しっかし休職は年次によって取れる長さが違う。数ヶ月で全快するとは思えないんだが……



というかそもそも具体的にどういったところに転職したいというビジョンがほぼない。
前にふわっと書いたっちゃ書いたけど。

kinoko-konohanadou.hatenablog.com

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ただ、修士課程の頃の私はおそらくこのルートは思い付きもしなかったろうなあ。
「せっかくここまで頑張ってきたんだから」という固定観念は恐ろしい。対して優秀でもなかったくせに。


自己分析って、トラウマ持ちにとってはマジでキツい作業なんですよね。自分の裸と向き合うイコール傷痕を直視することなので。場合によってはかさぶたを剥がすようなことも必要になるかもしれないし。
私はいわゆる就活の期間にそれをできるほど時間も心も余裕がなかった。

ようやくそれをしなければどうにもならない段階が来たのだと思うものの、今だって時間も心も余裕がない。


甘えたいな。社会に。というか世界に。
家庭や学校で起こった諸々を抱えつつも、勉強に課外活動に創作活動にと割かし頑張ってきた方だと思うんだけどな。もうちょっと優しくしてくれたっていいのに。


泣いても何も変わらないよ、と母が昔よく言っていた。

それでもバタフライエフェクトみたいに何かがほんの少しずつ連鎖的に変わっていけばいいのに、と枕を濡らして夢を見る私。