せきららキララ

木ノ子が生い立ちとか色々と自分語りするだけのブログ

幸いの采配

('ε' )くーー
('ㅂ' ) り
('ε' )す
('□' )ま
('ε' )す
('□' )が
('ロ' )こ
('ロ' )と
('ㅂ' )し
('ロ' )も
('□' )やーっ
('ㅂ' )て
('ε' )く
('ε' )るーー


って言おうとしたらクリスマスが終わっていました。どうも木ノ子です。

独り身クリスマスはもう何年もやってるので今さら「リア充爆発しろ!」だのと古のオタクのようなことは言いません。
ちなみに今年のクリスマスプレゼントは精神科医からの「しばらく会社休んで療養に専念するように」というお墨付きです。やったね!


なお、私がクリスマスプレゼントをもらっていたのは小6まででした。
誕生日プレゼントもしかり。

なぜか?

中1でクラリネット(当時の価格で約38万円……のところを母が楽器店社長と旧知の仲だったので数万円分お値引きしていただいた)を購入したからです。

思えば「今年から誕生日プレゼントなしで、サンタさんも来ないからね」と母に言われたのがシュールでした。
サンタさんの正体は、小4の頃に母の携帯を覗き見たとき「そろそろ枕元にプレゼント置かないと」と母の友人宛にメールしてた履歴を目撃して知ってしまったんですけどね。


* * * * * *


さて。
冒頭で歌った(!?)竹内まりやの「すてきなホリデイ」では、

「クリスマスは誰にもやってくる
 もしひとりぼっちでも淋しがらずに
 心に住むサンタに呼びかけて
 幼い頃の夢を思い出してごらんよ」

という歌詞が終盤に出てきますが、幼い頃にプレゼントをもらえなかった子どもにとってはめちゃくちゃ残酷な話では?と思ってしまうことがあります。

それだけでなくても、街にあふれるイルミネーション、プレゼント箱やサンタのディスプレイされたショーケース、大きなおもちゃの包みやケーキを持って帰路へ急ぐ大人たち……
"それら"から遠い子どもたちに思いを馳せることがしばしば。





というのも、私はそこそこ田舎の出身で、「貧困」や「虐待」なんかが割と身近だったんですよね。


通っていた公立小中学校の、隣の「※校区」には、市営住宅、いわゆる「団地」がありました。

(※地域性のある用語なので一応注釈入れますが、子どもがあるひとつの学校に通う対象範囲の地域をいくつかに区切ったものです。○○1区、○○2区、△△1区、のような分けられ方をしていました)

当然ながらその団地出身の子どもたちも同級生に何人かいて、教員出身の母からは「あの子たちはお父さんがいなかったり家族がたくさんいて貧乏だったりするけど、それはどうしようもない事情だから、普通に仲良くする中でもお金の話や家族の話だけは不用意にするな」と釘を刺されていました。

幸いなことに、団地出身の彼らはたまたま面白トークが得意なムードメーカーだったり運動神経抜群のサッカー少年だったりしたので、フィクションでよくある「貧乏/片親いじめ」のようなものはなかったのですが、小4のときの総合学習で突如行われた「1/2成人式」に伴う「自分史の作成」のときはどんな気持ちだったんだろう、と今更ながらモヤモヤを感じています。
実際に私の場合も両親揃っているものの不仲という状態だったし、親に結婚~出産までのエピソードをインタビューする宿題を課せられたことで、母が望まない結婚をしたという事実を10歳にして知ってしまいましたからね。。。
教員の想像力を疑いますが、聞くと今日でもまだどこかでこのクソイベントが行われているとか。地獄かよ。


……そこから少し時は流れ、中学生の頃にその団地に引っ越してきた、真面目な陸上少年がいました。
父親はおらず母親が働きに出ており、まだ保育園児の弟がふたり。
あと年齢不明のお姉さんがいたらしいのですが、彼はことあるごとに「うちの姉ちゃんヤンキーだからさ」とネタにしていました。

私の校区も団地のある校区も中学からはかなり距離があったので問答無用で自転車通学だったのですが、彼は荷台とカゴにイスのついた、およそ男子中学生とは思えない自転車で学校に来ていました。
言わずもがな、部活の帰りに保育園に寄って弟たちを乗せて帰るため、です。姉ちゃんがヤンキーだから。
私が知る限りでは小学生の頃と同様それに対する嫌がらせやいじめの類はなく、むしろ弟たちを乗せて自転車をこぐ彼とすれ違う人はみな彼と弟たちに手を振っていました。

彼は卒業時、確か唯一「中卒で就職」した生徒でした。
(……いや、唯一ではなかったかもしれません。中1の頃に私に暴力を振るっていた男子生徒たちが鳶職に就くとかなんとか言ってたような。奴らの情報はほとんどシャットアウトしていたのと、まあ今回の話と少し離れるので置いておきます。)
他の団地出身メンバーで、ムードメーカーだった子は定時制高校の夜間部へ。サッカー少年はスポーツ推薦でやや離れた地域の私立高校に進学しました。



そして私が公立進学校の高校生になったとある日、部活帰りの実家最寄り駅付近で、工場に就職した元陸上少年と定時制高校に通う元ムードメーカーのふたりに偶然遭遇したことがありました。
元陸上少年はその真面目さとストイックさを武器に、16歳にして異例のチーム長になったとか。そして昇進して上がった給料を貯めてバイクの免許をとったそうで、後ろに元ムードメーカーを乗せて、あの団地へと帰っていきました。


橙色と紫色のグラデーションの空にたなびく雲、角を曲がる際に点滅する小さな黄色いウィンカー、テールランプの赤い光、ふたりが私のほうを振り向かずに振る手。
私はその夕景を今でも忘れられずにいます。






虐待についてはやや重い話なので、頑張ってさらっと書きますね。

私と同じく自転車通学だった隣の校区(団地とはまた違う側)の女の子がいました。
小学校は別(とはいえ同じ中学に上がる地域)だったけど中2~3の頃にこちらの校区に引っ越してきた手合です。中1からの知り合いだけど行き帰りの道が同じだったのは中2や中3、という感じですね。分かりづらい。

引っ越しの理由が両親の離婚、というのはうっすらと噂になっていました。

ある日の帰りに、ちょうど分かれ道に差し掛かる頃その子が「家に帰りたくない」と呟いたのです。
どうしたの、なんかあった?と聞くと「母親の彼氏の車があるの見えた」。
離婚したって噂は本当だったんだ、と思ったところで彼女は続けて「お母さん、たぶん今彼氏とセックスしてんだよね。そこであたしが帰ると完全に邪魔者だからさ」と。
それ以上の詮索はせずに「じゃあしばらくここで喋っとくか」と言って、雑草の生えた小高い空き地の前に自転車を停めて、二人で日が暮れるまで話したのを覚えています。
その際、「実は昔、お父さんに怒られて車のボンネットに頭を叩きつけられたことがあって、それ以来片耳が聞こえてない」ということや「ぶっちゃけ今の彼氏がいるお母さんと暮らしたくない。まだお父さんの方がマシ。ばあちゃんいるからもう私や弟に暴力振るわないだろうし、私も大きくなって力あるから抵抗できるしさ」という本音をひたすら聞いていました。
確か、こうした方がいいよみたいなアドバイスはできなくて、そっか、そうなんだね、とかしか言えてなかったと思う。

私はそれまで、両親が不仲だったり2度いじめを受けたり教員に男尊女卑的な扱いを受けたりしたことから、自分のことを「恵まれない立場」の人間だと思ってたけど、もっとつらいことを隠していた人がいるなんて、とじんわりした衝撃を受けたのがその頃です。

のちに彼女は弟と共に元父親と祖母の家(隣県付近!)に身を寄せる運びとなり、私と帰り道を違えることとなったのですが、そこからの彼女がパワフルで。
父親や祖母に「隣県の公立高校に通いなさい」と言われつつも、そんな知り合いのひとりもいないような田舎の学校は嫌だ、と言って隣県公立の方は受験時に答案を白紙で提出。滑り止めと言って市内中心部の私立高校に出願しておき、そっちに全力投球して見事自分の選びたい進路を掴みとっていました。

後日談として、彼女と私の高校の最寄り駅は同じ路線上だったので、高校時代にしばしば電車内で会うことがあったのですが、彼女が携えているお菓子がなぜか大抵芋けんぴ
会えば私の友人にまで芋けんぴを差し出すというフレンドリーさを発揮していました。


* * * * * *


工場に就職した陸上少年も、あのムードメーカーも、芋けんぴの彼女も、その後どうなったのか、今どうしているのかは分かりません。
(私が軒並み中学時代の知人との連絡を絶っているからですが……。)

また、同じ公立の小中学校には、身体障害や知的障害をもった子、親が障害をもっている子、在日外国人と日本人を両親にもつ子などもいましたが、その子たちの進路も把握していません。




彼ら彼女らは、様々な理由によって否応なしに「選択肢が限られている」立場にいた子どもたちでした。

でもその先、だいたい16や17の頃に私が接したわずかな瞬間、彼ら彼女らの顔は幸せそうで。


しかしながら、おこがましくも考えてしまうのです。

「もし彼ら彼女らがもっと恵まれた立場で、与えられた選択肢も広かったら?」と。



小中高と公立の学校に通っていたとはいえ、幼い頃図書館や科学館に連れていってもらえたことで知的好奇心を高め、学問に勤しみ所謂「名門大学」に進学することができた環境にあった私でさえ、地元を離れて感じたのは「京都や大阪、東京で育った人は、私と違って幼い頃から多様で高度な文化資本に触れてきている」という壁です。
この差は今から埋まるものではない、と肌で感じて絶望したのは記憶に古くありません。


また、大学時代に中高一貫の私立名門校出身の知人が、何やら教育関連の問題を語るにあたり「もっと両親が家庭学習で子どもを見て……」「あらかじめ家にこういった本棚を置いて……」と、先述の彼ら彼女らを取り巻く環境がまるで存在しないかのように涼しい顔をしていたことに驚愕したこともありました。



貧困や格差については下記ふたつの記事が読みやすく、また切実です。



『 日本では所得の高い人ほど、「格差があってもしょうがない」と考える傾向が強い。「うちはお金があるけれども、それだけ努力をして、勉強もして、投資もしているから」という意識です。』
media.moneyforward.com




『 とりわけ、女の子は学力に問題はなくても母親の苦労を考えたり、親が男兄弟の進学と将来を優先したりなどで、大学に行きたいのに諦めざるを得ないことがあります。そして、シングルマザー同様、女子ほど貧困のループから抜け出せなくなっていく。

「勉強はできるのに、女だから学問を諦める」というのは、昔の話ではありません。』
media.moneyforward.com




私には、他人の幸せを学歴や所得で判断するなどということはできません。

貧困や虐待を経ても幸せな人はいる。
幸せは自分の心が決める。誰かもおっしゃっていましたね。


でも、それでも。


貧困によって「奪われるもの」は確実にあって。
それはおそらく、学問だけに限らず、各種芸術や、考え方、生き方などの「学び」の機会なのです。


そして反対に、貧困から遠い立場の人間ほど、そういった現実があるということを知る機会を奪われている。




誰が、何によって、何を奪われているのか。
知って、考えて、動く。正す。

そういう人に、私はなりたい。