せきららキララ

木ノ子が生い立ちとか色々と自分語りするだけのブログ

"合理的"の壁をぶっ壊せ

お久しぶりの更新となりました。
今回は、当ブログでは初めてとなる映画レビューを行いたいと思います。

今までも若干いくつかの映画に触れてきた部分はありますが、がっつりいくよ。前置きの小噺もなし。



アップリンク吉祥寺ならびにアップリンク渋谷にて現在行われている「見逃した映画特集FiveYears」という企画で、12月と1月の2日間のみ上映されたこちらの映画を鑑賞しました。


"サーミの血"(原題:SAME BLOD)

www.uplink.co.jp


1930年代のスウェーデンにおける、少数民族サーミ人への同化政策ならびに人種差別を描いた映画です。
監督が"サーミの血"を受け継いでいるどころか、主演女優の方も実際にトナカイを放牧して暮らしているとのこと。劇中でトナカイの群れを追い払ったり、1頭のトナカイを捕まえたりしているのは"本物"の技。


お話自体は「差別を乗り越えて幸せを掴む」といったハッピーエンドではない、です。ネタバレだけど。
"老婆が少女時代を回想する"という話の都合上、少女期~老年期の間が全く描かれていません。目を覆うようなひどい出来事があったのか、血の滲むような努力で何かを掴めたのか、私たちが想像するしかない。
そして少女期の描写もひたすらにキツい。風景や民族衣装が美しいものの、どこか寒々しい。それが"北欧っぽさ"なのかもしれませんが。全体的に青みが強いフィルムだったように感じました。


1930年代のスウェーデンの話ということで「約90年も前の時代にはこんな悲しいことをしていた地域もあったんだね。繰り返さないようにしないとね」という他人事のような結論に落ち着く方もいらっしゃるかもしれませんが、そこはちょっと待った、です。



現代日本だってまだまだあるよ!差別!


「これは差別じゃなくて区別だから」

「差別されてるっていう被害者意識がいけないんじゃないの」

「繊細ヤクザwお気持ちの民www」

ファッキン。
あらやだ汚い言葉が出ちゃったわ。



映画の中では大きく分けて3パターンの差別が描写されています。

A) 悪意による差別。寄宿舎学校そばで、主人公達に「臭い」「あいつらを殺したら賞金もらえるらしいぜ」などといった言葉を投げ掛けていた青年たちが当てはまります。

B) 作中の時代で"合理的"とされている差別。主に寄宿舎学校のシーン。
頭の大きさや鼻の高さを計測したり、裸の写真を撮ったりして「研究材料」とする来訪者、主人公の聡明さを知りながらも「あなた達の脳は文明に適応できないという研究結果が出ているから、高校への推薦状は出せない」と言い放つ担任教師、サーミ語を禁止しスウェーデン語を強要しながらも外見でサーミ人と分かるよう民族衣装を着せる制度、など。

C) 無意識の差別。スウェーデン人の青年ニクラスの両親が、寄宿舎学校を抜け出しニクラスを訪ねた主人公に対して不信感を募らせる場面や、ニクラスの友人の人類学専攻の女性が主人公にサーミの歌「ヨイク」を聞かせるようねだり、見世物のように扱う場面。


日本でもアイヌ琉球民族の差別、同和問題韓国併合などを過去に行ってきた歴史があることから、Aについてはおそらく道徳教育なり何なりでだいぶ緩和されてきたのではないかと思います。
(※ネット上では未だにそういった言動をする方も散見されますが、おそらくこれらは匿名だからできているだけであって、面と向かってヘイトを吐き散らす人はいわゆるノイジーマイノリティではないかと感じています。ただ、その一人や一言でどれだけたくさんの人が傷ついているのか、どれだけの無知な人間に「あ、こういうこと言っていいんだ」と感じさせているかについては言うまでもなく許していい訳がありません。)

最近の日本のニュースやTwitterでは、上記のうちBやCに該当するものが多いですね。


「女性は入学後伸び悩むし、妊娠や出産で離職するから、入試の時点で予め点数操作をして入学者を減らしていた」という医学部医学科。

「心が女性といっても体は男性なのだから加害性がある」「女性だと言い張るならそれを証明できるような外見にしろ」と、性別適合手術を行っていないトランス女性に対して線引きをするシス女性。

精神科医香山リカ氏に対して「在日(外国人)じゃないという証明を見せてみろ」と迫るTwitter民。



ほか、対セクシャルマイノリティにおいてよくあるのは

腐女子がゲイに根掘り葉掘り性経験を聞く

・同性愛者は性欲が強い(出会い系アプリでワンナイトラブが日常茶飯事)という思い込み

MtFに対して「元は同じ男だから」という理由で許可もなく胸を触るシス男性

・「トランスジェンダーは男女両方の気持ちが分かる」という謎の認識

あたりでしょうか。


たぶんこういった言動をする人たちは「相手を困らせてやろう、苦しめてやろう」と心の底から思っている訳ではなくて「これくらい当然でしょ?」と思ってるんですよね。。。



そして、"それが当然"とされる環境においては、本来「差別される側」である人間が自身の素性を隠したり、ときには「差別する側」のふりをせざるを得なかったりする。

映画の中でも、主人公が民族衣装を脱ぎスウェーデン人の服を盗んでダンスパーティに行った際、追いかけてきた妹に対して「汚いラップ人ね!」とひどい言葉を投げかけたり、本名でサミー人と悟られないようにスウェーデン人の担任教師の名前を拝借して名乗ったりしていました。


……白状しますと、私も自身が同性にも恋愛感情を抱くということを隠し、会社や学校でいわゆる「ホモネタ」に乗っかって笑っていたことがありました。
さらに昔ですと、2ちゃんねるの書き込みを見すぎたり祖父母が保守思想だった影響を受けたりして、在日韓国人や在日中国人の方にあまり良くない印象を持っていた時期もありました。
「女性と男性の脳は違う」と信じていたことも。(それで「理数系も得意だし男子に試験で負けたことがないから自分は特例」と思ってたの、本当にどうしようもないですね)



「そういうもんでしょ」や「なんかひどいこと言ってるな」を放置すると、悲しむ人が沢山出てくるんですよ。

自分の足が何かを踏みつけていないか今一度問うてみると同時に、勇気を持って「それは偏見だ」「それは差別だ」と強く指摘することが求められているのではないかと再認識しました。


偏見を持ってしまうことは、誰しもあることだと思います。
が、それが表に出たときどうなるか。
「そんなはずじゃなかった」となるかもしれない……というのは映画「カランコエの花」をご覧になった方なら痛いほど分かると思います。
……何、まだ観てない?上映館が少なく期間もそう長くないものの、DVDのクラウドファンディングもやってるのでポチりましょう。

motion-gallery.net




閑話休題


最後にこれだけは言っておこう。
表現の自由」には「差別的な表現をする自由」は含まれていない!
あと「○○と思ってるけど実際にするつもりはない」とツイートした時点で表現しちゃってるからな!
表現規制をしたいんじゃないよ。基本的人権、公共の福祉が優先されるんだよ。。。義務教育で習うでしょ。


……このブログの読者に限ってそんなことはないとは思いますが、インターネットの海に小石を投げ込む訳ですから、きちんと宣言しておきたくて。




明日も明後日も、少しずつやさしい世界になりますように。