せきららキララ

木ノ子が生い立ちとか色々と自分語りするだけのブログ

鴨川アンダーザブリッジ

ヒーモヒモヒモヒーモヒモ、みたいな曲ありましたよね。本家の荒川アンダーザブリッジの方に。


本日は前置き少なめで、かつて下記の記事にもちょろっと書いた、大学生の頃に京都でバンドやってた話をしようかと思います。


kinoko-konohanadou.hatenablog.com


結成したのは現役京大生理系女子5人によるダメ系(アニメやゲーム、ボーカロイドの曲なんかをやる)バンド。私はキーボード担当。
活動期間は2010年夏~2012年春先。なぜなら3年になってみんな実験や実習が忙しくなったから。自然消滅のような形でした。

練習場所は同志社大学そばのBURUや、北白川通り沿いのRAG。キーボード背負ってオール立ち漕ぎ(荷台にぶつかるから)で走り回ってました。若さの力。

行ったことのあるライブハウスは京都だと、けいおん!の聖地としても有名な四条烏丸MOJO祇園のSilver Wing、四条河原町下ったとこのARC DEUX、岩倉のfanJあたり。大阪だと心斎橋の Avenue A。ここが最後のライブやったなあ。

ダメ系バンドの曲はバックにオケ構えてたり打ち込みが多かったりするのが多いので必然的にキーボードの負担は大きめなのですが、エレクトーンを齧ってたおかげかモバイルシンセの音作りはさほど難しく感じず、他バンドの方々に褒められるなどもしていました。が、時々対バンする人たちの中には複数台持ちのガチ勢がいてめちゃくちゃひるんだり。
凝ろうと思えばいくらでも凝ることはできたのかもしれませんが、吹奏楽団と学業と生活とのバランスを考えてみるとどうしても中途半端になってしまったのが心残りではありますね。課外活動が原因で留年しても許される家庭環境や経済状況ではなかったので……




環境といえば、バンドをやっていると様々な方々と関わる機会がありました。
高卒だったり高校中退だったりフリーターだったり、もし私が吹奏楽団だけ、あるいは吹奏楽団すら入っていなかったら関わることがなかったであろう人たち。
(※吹奏楽団は他大学出身のメンバーもいたので、私学の女子大やら芸大やら教育大学やら、これまたサークル活動をしていなければ関わりえなかった人たちとも知り合うことができました)


……実のところ、若かりし頃(!?)の私は小中学生時代のいじめられ経験から「受験で高偏差値校に進学し、あんなやつらとは関わりのない社会の上澄みに登り詰める」という歪んだ思想を持っており(中学までの知人友人とはごく少数の例外を除き全く連絡をとっていない)、また母もそれを後押ししていたため、最初はそういった方々との接触に抵抗感がありました。「こいつら、私をいじめる側だったような人間やろ」みたいな先入観。あと、どうやって話したらいいか分からない、みたいな。

加えて当時は帰宅時刻を逐一母に連絡しなければならないという地獄の過干渉生活だったため、ライブや打ち上げ(言うてちょろっとしか参加してない)から帰って遅くなると小言が飛んで来るし、そのたびに「バンドやってるような人たちとは深く関わるな」なんて言われてました。

今考えるとどんだけ偏見やねん。

なんか、壁を作ってたのは自分の方だったなとか、クソみたいなプライド持ってたなとか、もうちょっと自分の本心に従って生きてたらよかったなとか、最近しみじみ感じております。



だって関西住んでる間にバンド続けてたら、あのUNDERHAIRZとも交流持ててたかもしれへんのやで?
※今月初め頃に知った大阪発の女性3人によるラップユニットです。オープンすぎる酒と下ネタの曲ばかり……!逆に好感度が高いというか鬱々とした気持ちが晴れてきました。アンヘアはからだにいい。


視聴はこちら(まかり間違っても公共の場で垂れ流さないこと!当ブログは責任を追いかねます)


ティザーA
soundcloud.com

ティザーB
soundcloud.com

ティザーC
soundcloud.com






話をちょっとだけ戻して。


自分の本心に従って生きる、というのがぶっちゃけ私は苦手だった。苦手もクソもないか?苦手というか、「分からない」。高校時代はある程度好きにやらせていただいたけども。

小学生の頃なんて、「世界は物語で私が主人公、周りの人は登場人物、母親は主人公を操作するプレイヤー」みたいな感じ方をしていたから、どうやって動いてたのか自分でも分からなかったことが多かった。先生に何か注意されても何言われてるのか分かんない、とか。でも学業もスポーツも芸術も得意だから通信簿はオールA。ただ担任のコメント欄や素行の点数がボロクソ。病気かよ。病気だったと思うわ。
「お母さんがそう言ってたから」ってよく言ってたし、それを母に知られて怒られたときも「なんで?お母さんが言ってたじゃん」だったしな。
母親のせいにするな、と言われそうだけど、ほんまにあの頃は反射で生きてるようなもんだった。

……そう考えると今ちゃんと人間生活送れてるのが奇跡みたいに思えてきたわ。労働には復帰できてないけどね!


何の話や。

まあたまには、こういうのもありかなと。アデュー