せきららキララ

木ノ子が生い立ちとか色々と自分語りするだけのブログ

毒親とは言いたくないけども

はい、では初回のエピソードは「機能不全家族」。
エピソードというか現在進行形というか状態ですね。自身の生い立ち、人格形成の根幹部分なので初めに持ってきました。

機能不全家族とは何ぞや」につきましては、NPO法人日本トラウマ・サバイバーズ・ユニオン様の記事をぺたり。
機能不全家族 | JUST | NPO法人 日本トラウマ・サバイバーズ・ユニオン


我が家の場合は
・家族の成員にプライバシーがなく、個人のあいだの境界があいまいである。
・家族は分断され、統一性がない。
あたりが当てはまります。
まあ他の家庭の全貌を完全には把握できないので、我が家のレベルがどの程度なのかは分かりませんが、少なくとも昔から友達の家族の話やドラマを観る限り「あれ、変だぞ」と思うことは多々ありました。


そもそも両親は恋愛結婚ではないんですね。還暦過ぎてるので当時としてはよくあることだったとは思いますが。
私はお見合いをしたことはないので母からの伝聞ではあるのですが、顔合わせののち数度デートして決める、という手順だそうで。母の場合は、大学を出て働き始め早々に祖母から頻繁に縁談を持ってこられて疲弊していたことと、仕事自体に行き詰まりを感じていたため、色々と終わらせるために妥協で結婚したとのこと。

…なんでこんなことを私が知ってるかって?小4の総合学習でやった「1/2成人式」のせいだよ!!!!!自分が産まれるまでの経緯を親に聞いてこいとかプライバシー侵害にもほどがあるだろ。もし強姦されて生まれた子や養子、孤児がいたらどうすんだよ。どうなってんだ教育現場。

閑話休題

そして母は「この人と二人で家庭を築くのは嫌だけどせめて子どもがいれば」という考えとなり、好きでもない夫と我慢しつつ性交渉をしたもののーーなんと2度も流産。そして3度目の正直として生まれたのがこの私。
流産を繰り返したことから当時にしてはそこそこ高齢で出産したこともあり、やっとできた一人娘でもあるので、母はだいぶ過干渉でまあ苦しいことが多くありました。そもそも母方の祖父母が過干渉なんですよ。母はいくぶんマイルドですが。

そして父サイドの話があまりないのは、私が5歳の頃~小6まで遠方へ単身赴任しており、ごくたまにしか会えなかったからです。1/2成人式のネタ集めも普段父が一緒に暮らしていないため母の意見しか聞けなかったし、単身赴任中は母と私のふたりしか家にいないので、自然と母サイドになってゆく。
…いやあ、これ、結構キツいんですよ。家に私と母だけという状況。逃げ場がない。プライバシーもない。私が学校で嫌なことがあって自室の布団に籠って泣いていると、居間にしばらくいないことを察知した母が私の部屋にノックなしで突撃してきて布団を剥がされ「そんなことでいちいち泣いてたらこの先生きていけないよ!」と叱られていました。寝室も共同なので、夜に泣くのもバレるから、できるだけしゃくりあげないように静かに涙だけを流すことがうまくなりました。当時まだ十歳とかそこらだぞ私。
その他、明らかに母の言い分がおかしいときでも、子どもの私が反論したところで丸め込まれてしまうし、他に「それはおかしい」と言ってくれる大人や同調してくれる兄弟姉妹がいないので、悪く言えば洗脳に近い状態になるんですよね。
一応習い事を4つ掛け持ちし、部活も2つ(陸上部と合唱部)やってたのでまだなんとか気持ちのやり場はありましたが。


そして小6の夏、父の単身赴任が終わり、3人で暮らすようになってからはまた別の問題が発生。

母の牙城だった我が家に父が帰って来て、食器の片付け方やら風呂の使い方やら小さなところから相互にイライラを募らせていき(母が几帳面というか神経質なので、大抵は母から父へ怒りをぶつけ、父がそれを受けてイラつくというパターン)、ごくたまにですが父が母に手を上げることもありました。
そして私は母から父の愚痴を聞くことが格段に増え、母が仕事でいない土曜は父から母の愚痴を聞くこともありました。でも離婚はしない。おそらく世間体や経済的な理由から。

おい、子どもは私ひとりしかいねえんだぞ。何背負わせとんねん。

ただ、どうしても母と過ごした年月が多く、悪く言えば洗脳されていたことから、私はあまり父サイドに立つことができませんでした。母が明らかに言い過ぎなときも父を庇えなかった。
加えて、母もあまり私を父に近づけようとしなくなった。昔は年に一度か二度、3人で旅行に行ったりもしていたのですが、父の単身赴任が終わってから今の今まで全くそういったことをしていない。
最初の記事で父のことを無関心と書いてしまったのですが、おそらく私が小さい頃は結構関心があったと思うんですね。ただ、遠ざけられてしまったことで関わりが薄くなっていったというか。まあ私自身の年齢が思春期手前ということも拍車をかけていたかもしれませんが。

中学2年の夏、この構造が原因で私が精神的にドン底に落とされる事件があるのですが、それはまた別のテーマのときに書きたいと思います。


大学入学後は京都で、現在は東京で一人暮らしをしていますが、父は私の家に来たことはありませんし、住所も知りません。
母は私が一人暮らしを始めて1年ほど経った頃から更年期障害がひどくなってきたものの、家にいる父には何も言えず(というかおそらくむしろ父がストレッサーになっていた)、遠方に住む私に毎日のように死にたい死にたいと連絡をよこしてくるようになりました。今考えるとこれめちゃくちゃしんどかったなあ。学業やサークル活動に支障を来してた。離れて暮らしていても二十歳になっても「親にとっての子ども」という構造は変わらないので、母の味方という役割から解放された訳ではないんですね。
母からのSOSの他に、毎朝の生存確認と帰宅確認をメールしなければいけないという義務も、今年の10月半ばまでありました。外からの意見がないとこれが異常だという認識がまるでないという状況、よくない。子離れできてない。母と娘は共依存関係になりやすいと聞きますが、おそらく私たちもそうだったのだと思います。

そして今は父方の祖父が亡くなり祖母の介助が必要という名目で父は週のほとんどを実家で過ごし、母とは半別居中という感じです。母は更年期を過ぎたことと高校時代の同級生としょっちゅう会うようになったことで、だいぶ子離れが進んでいます。半別居中とはいえようやく正常に戻りつつあるかなあ。夫婦仲は決して良くないけどね。

仲良し家族が一番いいに越したことはないのですが、そうでない場合は少し距離を置くというのが案外大切なのかもしれない、と考えています。

今回はいったんこのへんで。