せきららキララ

木ノ子が生い立ちとか色々と自分語りするだけのブログ

大石林山に連れてって

「紬は何に生まれ変わりたいの?」
「……きちんとした人間。」

(映画「少女邂逅」より抜粋)


* * * * * * 


枝優花監督作の長編映画少女邂逅」をご覧になった方は冒頭の抜粋部分と併せてご存知かと思われますが、そうでない方に説明しますと、タイトルは「だいせきりんざん」と読む沖縄にある奇岩巨石地帯です。パワースポットと呼ばれているとか。

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劇中で、主人公ミユリと紬はここに行こうと約束しますが……
是非とも観ていただきたい作品のひとつです。円盤ももうすぐ出ます。





はい、今回の記事のテーマは沖縄でもスピリチュアルでも少女邂逅でもなく「きちんとした人間」について。



世の中、「きちんとした人間」を前提としすぎじゃないですか?

もう少し詳しく言うと、「健康で五体満足である程度の教養のある成人、かつパートナーなり家族なり頼れる人がいる」ことを前提として動いてる仕組みが多いというか……


現在絶賛メンヘラモードで会社を長期欠勤しているのですが、その手続きが煩雑すぎる。役所に各種申請すんのも然り。順番を間違えるとアウトとかね。こっちは精神病んでんのにそんな長い文章読めるかい。
さっき会社から送られてきた書類の医師記入欄を書いてもらおうと思って持ってったら「これ本当はまず会社と相談してここの欄を埋めてからでないとだめなんですよ~ちょっと人事の人に確認してからにしてもらえます?」って突き返されてしまったよ。。。
他の書類を埋めようとしても集中力がドン底なせいで誤記だらけやわ。もっと言うと両手複雑骨折してる人とかどないすんねん。
「そういう場合は健康なおうちの人が書いてくれるだろう」とでも思ってるんですかね?


しかしながら「役所での手続きの方法や仕組みを義務教育で教えるべきだ!」とは思わないんですよ。だってみんな中学で習った内容なんてほとんど覚えてないでしょ。
「歴史の年号みたいなのは無理だけど実生活に役に立つ内容だったら覚える」とか抜かす人は、保健体育や家庭科の授業の内容をさぞかし完璧に覚えてるんでしょうなあ。避妊成功率100%、性病罹患率0%、国民全員が基本的な調理法を身に付けている?んなこたあない。
しかも高齢者になったら授業内容の記憶どころではない認知症とかも始まってくる可能性もある訳で。若年性アルツハイマーも同じく。


支援が必要になった人に対して簡単かつスピーディーにサポートできる体制が必要なのに、「こういった制度を悪用する人がいるかもしれないから」と性悪説を唱えて厳密化・煩雑化したせいで結局支援を受けられない人が出てくるのは本当に悲しいことなんですよね。
あと、その「サポート対象」の境界付近の人がめちゃくちゃ苦しいとかね。

ただ、救急車のコンビニ受診とか、悪用する人が出たせいでほんまに緊急を要する人まで助けを回せなかったという事態が出てきているのも事実ではあるんですが……。


いつ誰が 「健康で五体満足である程度の教養のある成人」でなくなるかなんて分からないし、「パートナーなり家族なり頼れる人がいる」 訳じゃない人なんてごろごろいる訳ですよ。
後者を救うものとして、同性間だけでなく異性間も含むパートナーシップ制度が千葉市で始まりましたけども。




やや話は飛びますが、先日のZOZO前澤氏の100万円ばらまき企画に対して色んな意見が出てますね。

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めちゃくちゃお金のある人がそこそこお金を持っててかつ夢のある人にお金を渡して経済を回す、それも大事ではあるのですが、結局のとこらある程度以上の階層でぐるぐるしてるだけになっとるんちゃうか?とも思うんですよね。
そこで、


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今年も早速お世話になりました橘みつさんのこれらのツイートが真理なのかなあと。

私は幸い高給取り時代にコツコツ貯めたお金がそこそこあるので、数ヶ月は諸々の手当金なしでも生きられるっちゃ生きられるんですが、だいたい修士課程あたりから少しずつ日常の何やかんやに心がスポイルされていった結果として、かつて好きだった色んなものを楽しめない状態が続いてるのはとてもつらい。
まともに書類書いたり手続きしたりすらできないのもつらい。
本当は会社を辞めたいけど、職務復帰する前提で話を振ってくる人事や医師なんかもつらい。


きちんとした人間に生まれ変わりたいなあと思うけど、そこまできちんとしてなくてもつらくない社会になってほしいし、それを作る試みに参加できるものならしてみたいと思う今日この頃。


とりあえず諸々の書類作成とか申請とかの代行してほしい……誰か……

格助詞「の」

……ぶっちゃけタイトルで損してるんじゃないかと考える今日この頃。

「n年勤めた会社を退職しました」とか「○○ダイエットを1ヶ月やってみた結果」みたいな中身が分かりやすい方がいいのかな?みんな見てくれるのかな?と。


しかしやめない。やめないぞ!

「開けてびっくり」という古き良き言葉を信じ、タイトルだけでは中身が分からない記事を書くという信念を持っております、どうもわたしです。


……と言いつつ一旦タイトル回収しますと、先日「リップヴァンウィンクルの花嫁」という映画を観てきたことに由来するんですね。
このタイトルの「の」は、格助詞「の」の数ある用法のうちどれなのかな、とずっと考えていまして。
具体的には、「リップヴァンウィンクルという人物のお嫁さん」なのか、「"リップヴァンウィンクル"である花嫁」なのか。
ダブルミーニング説も大いにありますが。というかたぶんダブルミーニングなんだろうなあ。と思いました。

リップヴァンウィンクル、とはアメリカ版の浦島太郎みたいな話です。まあぐぐってください。映画をご覧になっていない方に補足しますと、物語の主要人物(主人公ではない)のSNS上のハンドルネームがリップヴァンウィンクルなのです。

この映画の話もおいおいしたい。原作小説もサントラも買って泣いたということでお察しください。


* * * * * *


そういえば私にとっては教科書や参考書を開く方がティーン女子向けの雑誌を開くより簡単だったなあ、と10年くらい前に思いを馳せたのが今日の夕方の話。
女子力はなくて助詞力があった。なんつって。
助詞にとどまらず、古典では助動詞の用法や活用や接続を完璧に覚えちゃったりね。一応理系と呼ばれる分野の出身ですが、実は国語結構得意だったんです。全国模試で県内1位とかも取ったことあるんですよ。

流行に乗りたいとか、トレンドのスタイルじゃないなんてダサいとか、そんな気持ちは全くなかった、お芋さんのようなJKでした。
でも実は服飾についてひとつだけ密かな夢があった。



それは「ロリータファッションをしてみたい」ということ。



ちなみにいわゆるピンクのフリフリな甘ロリではなく、クラシックロリータかゴスロリのファッションとメイクをしてみたかった。

……何度も言ってますが地元が田舎なので、一番栄えている駅前ですら浮きます。
てか服を調達する前に化粧品の使い方分からないし、持ってない。母親のを使う?無理無理。




それに、自分の外見が気持ち悪いって思ってたから。


いくら可愛い服を着てもダメ、というかむしろもっとダメ。
くさやにカスタードクリームかけるようなもん。



自分で言うのもアレですが、実はスタイルはそれほど悪くはなかったんですよ。
高3当時ですと身長155cm体重46kgのBMI19、バストはDカップ
残念ながらウエストとヒップは当時測ったことがないのですが、まあ体重から察してくださいね。

でも、ド近眼で眼鏡をかけた自分の顔ぐらいしかまともに見たことがなかったので、当然凹レンズのせいで目は実物よりかなり小さく見える。
いいとこ見つけよう!二重まぶた!……と言っても奥二重。
おまけにそばかす持ち。腕にも痣がある(※自傷痕ではなく、生まれつき右腕が斑模様なのです)。


ある年の部活の合宿の部屋着にゴスロリ服を持ってきた友人に憧れつつも、同じぐらいの体格だから借りることもできただろうに先述のくさやカスタード理論(!?)から何も言えなかった夏。


くさやカスタード理論、厄介な呪いでした。

いじめられてたときに同級生に顔のことを言われた、それだけが原因じゃないんですよ。
それ以前も母や祖母に「あんたは見た目がよくないから中身や頭の良さで勝負するしかない」「いとこの○○ちゃんぐらい細ければねえ」と言われていたのも大きかった。
お姫様になる、お嫁さんになる、みたいな無邪気な夢は見られなかったなあ。



そして、その夢は大学生になって親元を離れたのち、すこーしだけ叶いました。

1年の春に、同じ高校出身のベーシストと軽音サークルに頼らず同級生の女子を集めてダメ系(アニメやゲーム、ボカロ曲を演奏する)バンドを組んで、初めてのライブに参加するときの衣装どうする?という話になった際に、メイド服を買うことになりました。

メイド服!
本当はロングスカートのクラシックスタイルが良かったけど、メイド服!!!!

届いたのは3000円~4000円ぐらいの、パーティーグッズのようなメイド服。レースなんて使われてません。まあお金のない大学生だから仕方ない。

でも、ささやかながらフリフリしている!
エプロンの肩紐部分やカチューシャにフリルがついている!

高校生のときは体育のときしか使わなかったコンタクトレンズを入れる。
東京出身で、高校時代コスプレをやっていたドラマーに簡単ながらメイクを教えてもらう。
髪をツインテールにして、この日のためにふたつ買っておいたふわふわの白いシュシュをつける。

5人並んでガラケーで写メを撮ってもらって、



感動した。


いや、一般的な視点から見たら全然可愛いのうちに入らないんだけど。



可愛い女子がふわふわパンケーキにカスタードだとしたら、私はトーストにマーガリン塗ったぐらいだけど、それでもくさやからは大きく飛躍した。


それからはアクシーズファムとかでレースやリボンのついた服をためらいなく買うようになった。

呪いが少し解けた瞬間でした。



しかし同じぐらいの時期、バンドとは別のコミュニティで男性におデート誘われたときにドラマーの子の教えを守ってバリバリにキメたメイクと服装をしたものの、その後お付き合いするにあたり「普段の飾らない方がいいし眼鏡に戻してほしい」と言われ、まあ毎回バッチリメイクすんのもめんどいしな、と思って元に戻ってしまったんですが。。。


可愛い自分になれるのは嬉しいけど、可愛くなるための準備しんどくないか?
あと、求められるのもしんどくないか?



大学院在学中なんかはもう実験実験アンド実験の日々だったので、私に限らず「今日化粧する暇なかったからマスクやわ」みたいな同期女子も結構いて気が楽だったけど、会社に入ったら毎日「マナー」として化粧しないといけないし。
私が「あの人きれいだなー、髪や服装もこだわってるなあ」と思っていた女性社員に対して、他の男性社員が「あの子は身だしなみに手を抜いてる」と言ってて鳥肌が立ったり。


いくらありのままの自分を愛してほしいと叫んでも土がついたままのジャガイモは食えない、とはよく言ったもので、ある程度は整えないといけないのは分かってます。


でも、なんだろう、このモヤモヤは……



教科書や参考書を開く方がティーン女子向けの雑誌を開くより簡単だった、というのはきっと高校時代だけの話ではなく、もうそういう人間になってしまっているというか、なってしまっていたんじゃないかなと。
でもその代わりにこうやって長い文章をダラダラ書き連ねることができるんですよ私は。
文章を書くことはさておき、今までに蓄積したそれなりの知識量と、正しいとされる知見に辿り着くための調べ方、読み取り方は私のひとつの武器であり、身に染み込んでいるようなもの。
サササッとメイクができる代わりに得たものなのです。


だから、もう誰もこれ以上呪いをかけないで。

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……タイトル、"きもいかわ"にしてもよかったかな。





来週末の三連休に、実家と母方の祖父母の家に帰ってこいと言われました。
明日病院に行くついでに新幹線の切符を買えと。

私が精神科に通っていることは親族の中では母しか知らず、年末年始の帰省をパスした理由は表向きには「1/2に海外対応の仕事があるから」ということになっている。


母と顔を合わせたらまた「太ったね」と言われるだろうなあ。
祖母には「年頃の娘さんなんだからもっと明るい色の服を着なさい」と毎回言われるし。
祖父には「次に会うときは旦那を連れてこい」と言われたし。



小さい頃に求められたとおりの人間になったはずなのになあ。
この映画のタイトルの格助詞がどうの、性決定遺伝子がどうのなんて考える人間じゃなくて、スリムな体型で明るい色の可愛い服を着て男の人と結婚してる女性にならない限り、ずっと刺され続けるのかなあ。


強くなりたいよ。
心を騙して作り笑いする、我慢する強さじゃなくて、呪いを跳ね返すような強さがほしい。

ほんとはそんな強さがいらない世界がほしい。

合縁奇縁

袖振り合うも多生の縁、金の切れ目は縁の切れ目、縁にまつわることわざは多いですね。ちなみに「袖擦り合う」や「他生の縁」でもいいらしいとか。
3年ほど研究畑にいたくせに、解答をひとつに絞るより『諸説あります』を大事にしたい、どうも木ノ子です。


本日は、縁切りと縁結びについてのお話をば。

とはいったものの、一般的な話じゃなくて完全に私個人の悩みなんですが……



ちょっとTwitterで荒ぶってしまったとおり、現在うつ状態がちょっと悪化してきたことから12月下旬から仕事をお休み中+年末年始の帰省をパスしているのですが、それに際する上司や人事や母からの「これからどうするの?」にほとほと参ってしまっており。
……それと縁と何の関係が?とお思いの方、もう少しだけ落ち着いてくださいませ。順を追っていきます。


まあ現在の仕事については、おそらく休職か退職という運びになるんじゃないかなあと他人事のように考えています。


でも、次のお仕事は?
特筆したスキルなし、心身虚弱の状態ではどんなに良いお仕事との縁があってもうまくいきません。

しかしながら、お金がなければ生きていけない。
元々はそこそこ高給取りだったので、都内のちょっと家賃お高めのところに住んでるのですが、行政の家賃補助や傷病手当金生活ではどうも赤字の気配しかない。


そこで母は言うのでした。
「実家からそこそこ近い(※電車で1時間はかかりますよ)、名古屋あたりで就職考えるのはどう?」



これを断固拒否したいんですね。



理由その①、母が突発的に家にやってくるのが目に見えている。もはや世帯は別、生計も別なのに、所持品や清掃状況について必ず文句を言うので超ストレス。

理由その②、地元が近いせいで小中学校の頃の超苦手なやつらとエンカウントする確率が東京より格段に高い。トラウマ再発の危機。

理由その③、三大都市とはいえ東京に比べ圧倒的に娯楽が少ない。貴和製作所がない。ミニシアターもほとんどない。何かしらのイベントも少ないか一足遅れる。何かをしようとしたときにアクセスできない不自由さ。

理由その④、東京ほど「いろんな人」がいないせいで窮屈。愛知って結構保守的・画一的なところあるんですよ。大企業のお膝元ということもあり。
「ト○タ系列に就職できたか否か」を物差しにする人も結構いたり。




では、母の意見に反し、東京に留まって療養→金銭面での不安を解消するためにはどうしたらいいか?



【案1:頭を下げて両親から金銭的支援を受ける】

恩を売ることになるので、できれば取りたくない手。
なぜ東京にこだわるのか、の理由で舌戦になった際に勝てるよう想定した理論武装も予め用意しておく必要あり。


【案2:都内でも家賃安いところに引っ越す】

とても妥当。
しかし引っ越し自体にもお金かかるし、どうせなら次の職場とのアクセスが良いところがいいので、次の職場がいつ決まるのかという問題があるうちにはあまり取りたくない手段。
そもそも荷造りや値段交渉、日取りを決める等の気力がない。と言ったらおそらく母がすっ飛んできて、手伝う体で「これいらないよね」と所持品を捨てられるおそれあり。それは絶対に嫌。


【案3:圧倒的に割のいい職に就く】

ストレスフリーで高給、かつ自分のやりたいこと、みたいな。病気も治って金銭的にも問題なし。
そんな虫のいい話があればいいなという希望的観測でしかないが。



【案4:東京で人生のパートナーを見つける】

……これねー。
まあ要するに結婚あるいはパートナーシップ的なやつです。
家庭を持ってしまえば誰も文句言えないだろう、という。特に相手が東京在住なら。
でもそんなことのためにパートナー探すのはなんかちゃうよなと思うし、そもそも今好きな人(女性)が東京ではないところにいる身。
とはいえその人は現時点では少なくともヘテロセクシャルであり男性の恋人もいるようなので、彼女と添い遂げられる可能性は限りなく低い。
だったらすっぱり諦めて、新たに添い遂げられる人を見つける方が健全と言えば健全。まあそんな簡単には諦められないような予感はしてますが。

加えて私の場合、その新たな相手は男女どちらか、という問題があるんですね。

セクシャル・フルイディティと自認しているものの、最近どうもL寄りな気がしているので、ビアンバーとか行ってみようかな、アプリってどうなんだろ、と検索してみたり。
……こういうことを言うのもアレですが、女性同士の方が「対等」な気がするんですよね。色々と。
もちろん男性のいいところもありますが。でもよく考えると今までお付き合いした男性に対して「男性ならではのこういうところが好き」みたいなところあんま感じたことないな……(失礼)


そして、男女どちらであろうとも仮にカップル成立した場合、それを理由に東京残留するということは両親に報告しないといけない訳で。




ンーーーー八方塞がり感。
妙案、良縁がどこかに転がっていないでしょうか。


東京で引き続き暮らせるお金があるか、母との関係性がうまくいってるか、そのどっちかだけでもクリアできてたらいいんですが。
別に母のことは嫌いじゃないし、縁を切りたい訳ではないんですよ。育ててくれたことに対しては感謝もしてます。でも、圧倒的に噛み合わないところがあるというか、私の地雷を踏み抜きがちというか。
バランスの取れたつきあい方ができていないのか。




というかそもそもこんな状態で「これからどうする」を考えたってロクなことにならないのでは、と思いつつも、正月休みが明けてしまったら何かしらアクションを起こさざるを得ないという苦しい状況。小さな空気穴しかない容器に詰められてるような感覚。
誰に頼ったらいいのかも分からない。
各所と私の間でうまーく取りなしてくれる人いないかな。いないよな。



あーまとまらない、けど一旦筆を置きますね。
そういう日もある。

「新年あけまして」の呪い

年明けから「呪い」とか物騒なタイトルでごめんなさいね。


それは私がまだ実家で暮らしていた子どもの頃のこと。
母が「"新年あけましておめでとうございます"という言い方は正しくない!」と言っていたことがありまして。

私に釘を刺したうえで、テレビ番組なんかでこの表現を聞くと「この人間違ってるねー」と言い、親戚一同で顔を合わせた際にもこの言い方をした人に「実はそれは正しくなくて、というのも新年が明けるのはおかしいんですよ」などと知識を披露していたときがあったんですね。
私はそれを信じていたし、親戚一同も納得していた(じいちゃんだけは「テレビでも言ってるんだからこっちも正しい!」とキレてましたが)。

しかしながら、一昨年の冬にその呪いを解くツイートが。

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長年信じてきて常識だと思っていたことが実は嘘だった、という瞬間に抱く感情は人それぞれかと思いますが、私は真っ先に「これを母に伝えなければ」と思いました。
少なくとも親戚に間違った情報を広めてしまっている。それを止めねば、と。母がどう思うかは全く視野に入れていませんでしたし、結局どう思ったのかも分かりませんが、上記のツイートを伝えてからはテレビやラジオで「新年あけましておめでとうございます」を聞いても何も言わなくなりました。




昨年や今年に限らず、ここ数年はすさまじい勢いで様々な情報やトレンドがアップデートされてきています。
人権やセクシャリティに対する意識も勿論のこと。


本日私は下記の朝日新聞の西武・そごうの広告をいったんさらっと読んで手放しでリツイートしましたが、

https://twitter.com/tora_17/status/1079936683905175553twitter.com


その後、よくよく考えてみると確かに……といったツイートも並んでおり。

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言葉を読み取ること、言葉を選ぶこと、言葉を発信することについて、みんながみんなより一層考える必要があるなあと月並みなことを感じました。


※私の意見はこんな感じ

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* * * * * *



さて、真面目な話はこのへんにしておいて。
新年ということもあり、いつもの三段構成とはちょっと違う感じで進行しますよ~!



【結局初夢っていつ見た夢なん?問題】



私の就寝は1/1の0時以降だったけど、このときに見た夢は初夢にカウントしていいのか!?


ちなみにこんな感じの夢を見ました。


・どこだかよく分からん橋の上に大量のイカが落ちてる夢

・合宿場みたいな学校みたいなところで私の靴(ブーツ)が行方不明になって探し回る夢

・自分がゲイの男子高校生になって、なぜかプ○キュアの妖精的なマスコットと一緒に日々を過ごしてるんだけど、あるときクラスの男子からゲイであることがバレたうえに告白される夢
※ちなみにこのときの自分の名前は「井田太郎」。井田なんて知り合いは今までひとりもいないぞ……


ノンレム睡眠レム睡眠が繰り返しあるうちのレム睡眠のタイミングで夢を見るから複数本立てになる、と昔どこかで聞いたことがあるのですが、この学説も既に覆されたりしているのだろうか。

そして夢占いしようにも訳がわからなさすぎる……!
どうなってんだ深層心理。



占いといえば、六星占術だとわたくし2018年~2020年が大殺界なんですよ。
まあ普段占いなんて全然しないもので、友人……というか想い人にすすめられて確認したらやっぱり大殺界、みたいな流れだったんですが。
そして「占いは統計学」という言葉がありつつも、じゃあ別の流派は?と九星気学で調べると「2018年は絶好調の年でした」とか出てきて、統計とは……となる。
四柱推命もなんか違った結果だった記憶が。もはや覚えていない。。。

↑の3つは生年月日や生まれた時間の組み合わせなのでそこそこばらけるとしても、よくある星座占いなんて12パターンしかないし、血液型に至っては4パターンしかない。人間そんな大雑把に区切れないでしょ、と。
結果に当たり障りのないことが書いてあれば、バーナム効果では?と夢のないようなことを考えたり。
まあ、バーナム効果でも信じることで楽になるならそれはそれでいいのか……。

対面の占いは割かしカウンセリングみたいなところがあるようですが、ちょっと使ってみようかなあ……精神科のカウンセリングとどっちがリーズナブルなんだろう……


とまあ、信心深くない割には夢占いを気にするという感じのわたくしでございます。
どなたか占ってくださる方いらっしゃるかしら?
特に男子高校生に変身するあたりが結構気になる木。




さて、いい時間になってきたので寝ましょうか。
今から見るのが初夢という説もあるので、起きたらメモしておかねば……。

幸いの采配

('ε' )くーー
('ㅂ' ) り
('ε' )す
('□' )ま
('ε' )す
('□' )が
('ロ' )こ
('ロ' )と
('ㅂ' )し
('ロ' )も
('□' )やーっ
('ㅂ' )て
('ε' )く
('ε' )るーー


って言おうとしたらクリスマスが終わっていました。どうも木ノ子です。

独り身クリスマスはもう何年もやってるので今さら「リア充爆発しろ!」だのと古のオタクのようなことは言いません。
ちなみに今年のクリスマスプレゼントは精神科医からの「しばらく会社休んで療養に専念するように」というお墨付きです。やったね!


なお、私がクリスマスプレゼントをもらっていたのは小6まででした。
誕生日プレゼントもしかり。

なぜか?

中1でクラリネット(当時の価格で約38万円……のところを母が楽器店社長と旧知の仲だったので数万円分お値引きしていただいた)を購入したからです。

思えば「今年から誕生日プレゼントなしで、サンタさんも来ないからね」と母に言われたのがシュールでした。
サンタさんの正体は、小4の頃に母の携帯を覗き見たとき「そろそろ枕元にプレゼント置かないと」と母の友人宛にメールしてた履歴を目撃して知ってしまったんですけどね。


* * * * * *


さて。
冒頭で歌った(!?)竹内まりやの「すてきなホリデイ」では、

「クリスマスは誰にもやってくる
 もしひとりぼっちでも淋しがらずに
 心に住むサンタに呼びかけて
 幼い頃の夢を思い出してごらんよ」

という歌詞が終盤に出てきますが、幼い頃にプレゼントをもらえなかった子どもにとってはめちゃくちゃ残酷な話では?と思ってしまうことがあります。

それだけでなくても、街にあふれるイルミネーション、プレゼント箱やサンタのディスプレイされたショーケース、大きなおもちゃの包みやケーキを持って帰路へ急ぐ大人たち……
"それら"から遠い子どもたちに思いを馳せることがしばしば。





というのも、私はそこそこ田舎の出身で、「貧困」や「虐待」なんかが割と身近だったんですよね。


通っていた公立小中学校の、隣の「※校区」には、市営住宅、いわゆる「団地」がありました。

(※地域性のある用語なので一応注釈入れますが、子どもがあるひとつの学校に通う対象範囲の地域をいくつかに区切ったものです。○○1区、○○2区、△△1区、のような分けられ方をしていました)

当然ながらその団地出身の子どもたちも同級生に何人かいて、教員出身の母からは「あの子たちはお父さんがいなかったり家族がたくさんいて貧乏だったりするけど、それはどうしようもない事情だから、普通に仲良くする中でもお金の話や家族の話だけは不用意にするな」と釘を刺されていました。

幸いなことに、団地出身の彼らはたまたま面白トークが得意なムードメーカーだったり運動神経抜群のサッカー少年だったりしたので、フィクションでよくある「貧乏/片親いじめ」のようなものはなかったのですが、小4のときの総合学習で突如行われた「1/2成人式」に伴う「自分史の作成」のときはどんな気持ちだったんだろう、と今更ながらモヤモヤを感じています。
実際に私の場合も両親揃っているものの不仲という状態だったし、親に結婚~出産までのエピソードをインタビューする宿題を課せられたことで、母が望まない結婚をしたという事実を10歳にして知ってしまいましたからね。。。
教員の想像力を疑いますが、聞くと今日でもまだどこかでこのクソイベントが行われているとか。地獄かよ。


……そこから少し時は流れ、中学生の頃にその団地に引っ越してきた、真面目な陸上少年がいました。
父親はおらず母親が働きに出ており、まだ保育園児の弟がふたり。
あと年齢不明のお姉さんがいたらしいのですが、彼はことあるごとに「うちの姉ちゃんヤンキーだからさ」とネタにしていました。

私の校区も団地のある校区も中学からはかなり距離があったので問答無用で自転車通学だったのですが、彼は荷台とカゴにイスのついた、およそ男子中学生とは思えない自転車で学校に来ていました。
言わずもがな、部活の帰りに保育園に寄って弟たちを乗せて帰るため、です。姉ちゃんがヤンキーだから。
私が知る限りでは小学生の頃と同様それに対する嫌がらせやいじめの類はなく、むしろ弟たちを乗せて自転車をこぐ彼とすれ違う人はみな彼と弟たちに手を振っていました。

彼は卒業時、確か唯一「中卒で就職」した生徒でした。
(……いや、唯一ではなかったかもしれません。中1の頃に私に暴力を振るっていた男子生徒たちが鳶職に就くとかなんとか言ってたような。奴らの情報はほとんどシャットアウトしていたのと、まあ今回の話と少し離れるので置いておきます。)
他の団地出身メンバーで、ムードメーカーだった子は定時制高校の夜間部へ。サッカー少年はスポーツ推薦でやや離れた地域の私立高校に進学しました。



そして私が公立進学校の高校生になったとある日、部活帰りの実家最寄り駅付近で、工場に就職した元陸上少年と定時制高校に通う元ムードメーカーのふたりに偶然遭遇したことがありました。
元陸上少年はその真面目さとストイックさを武器に、16歳にして異例のチーム長になったとか。そして昇進して上がった給料を貯めてバイクの免許をとったそうで、後ろに元ムードメーカーを乗せて、あの団地へと帰っていきました。


橙色と紫色のグラデーションの空にたなびく雲、角を曲がる際に点滅する小さな黄色いウィンカー、テールランプの赤い光、ふたりが私のほうを振り向かずに振る手。
私はその夕景を今でも忘れられずにいます。






虐待についてはやや重い話なので、頑張ってさらっと書きますね。

私と同じく自転車通学だった隣の校区(団地とはまた違う側)の女の子がいました。
小学校は別(とはいえ同じ中学に上がる地域)だったけど中2~3の頃にこちらの校区に引っ越してきた手合です。中1からの知り合いだけど行き帰りの道が同じだったのは中2や中3、という感じですね。分かりづらい。

引っ越しの理由が両親の離婚、というのはうっすらと噂になっていました。

ある日の帰りに、ちょうど分かれ道に差し掛かる頃その子が「家に帰りたくない」と呟いたのです。
どうしたの、なんかあった?と聞くと「母親の彼氏の車があるの見えた」。
離婚したって噂は本当だったんだ、と思ったところで彼女は続けて「お母さん、たぶん今彼氏とセックスしてんだよね。そこであたしが帰ると完全に邪魔者だからさ」と。
それ以上の詮索はせずに「じゃあしばらくここで喋っとくか」と言って、雑草の生えた小高い空き地の前に自転車を停めて、二人で日が暮れるまで話したのを覚えています。
その際、「実は昔、お父さんに怒られて車のボンネットに頭を叩きつけられたことがあって、それ以来片耳が聞こえてない」ということや「ぶっちゃけ今の彼氏がいるお母さんと暮らしたくない。まだお父さんの方がマシ。ばあちゃんいるからもう私や弟に暴力振るわないだろうし、私も大きくなって力あるから抵抗できるしさ」という本音をひたすら聞いていました。
確か、こうした方がいいよみたいなアドバイスはできなくて、そっか、そうなんだね、とかしか言えてなかったと思う。

私はそれまで、両親が不仲だったり2度いじめを受けたり教員に男尊女卑的な扱いを受けたりしたことから、自分のことを「恵まれない立場」の人間だと思ってたけど、もっとつらいことを隠していた人がいるなんて、とじんわりした衝撃を受けたのがその頃です。

のちに彼女は弟と共に元父親と祖母の家(隣県付近!)に身を寄せる運びとなり、私と帰り道を違えることとなったのですが、そこからの彼女がパワフルで。
父親や祖母に「隣県の公立高校に通いなさい」と言われつつも、そんな知り合いのひとりもいないような田舎の学校は嫌だ、と言って隣県公立の方は受験時に答案を白紙で提出。滑り止めと言って市内中心部の私立高校に出願しておき、そっちに全力投球して見事自分の選びたい進路を掴みとっていました。

後日談として、彼女と私の高校の最寄り駅は同じ路線上だったので、高校時代にしばしば電車内で会うことがあったのですが、彼女が携えているお菓子がなぜか大抵芋けんぴ
会えば私の友人にまで芋けんぴを差し出すというフレンドリーさを発揮していました。


* * * * * *


工場に就職した陸上少年も、あのムードメーカーも、芋けんぴの彼女も、その後どうなったのか、今どうしているのかは分かりません。
(私が軒並み中学時代の知人との連絡を絶っているからですが……。)

また、同じ公立の小中学校には、身体障害や知的障害をもった子、親が障害をもっている子、在日外国人と日本人を両親にもつ子などもいましたが、その子たちの進路も把握していません。




彼ら彼女らは、様々な理由によって否応なしに「選択肢が限られている」立場にいた子どもたちでした。

でもその先、だいたい16や17の頃に私が接したわずかな瞬間、彼ら彼女らの顔は幸せそうで。


しかしながら、おこがましくも考えてしまうのです。

「もし彼ら彼女らがもっと恵まれた立場で、与えられた選択肢も広かったら?」と。



小中高と公立の学校に通っていたとはいえ、幼い頃図書館や科学館に連れていってもらえたことで知的好奇心を高め、学問に勤しみ所謂「名門大学」に進学することができた環境にあった私でさえ、地元を離れて感じたのは「京都や大阪、東京で育った人は、私と違って幼い頃から多様で高度な文化資本に触れてきている」という壁です。
この差は今から埋まるものではない、と肌で感じて絶望したのは記憶に古くありません。


また、大学時代に中高一貫の私立名門校出身の知人が、何やら教育関連の問題を語るにあたり「もっと両親が家庭学習で子どもを見て……」「あらかじめ家にこういった本棚を置いて……」と、先述の彼ら彼女らを取り巻く環境がまるで存在しないかのように涼しい顔をしていたことに驚愕したこともありました。



貧困や格差については下記ふたつの記事が読みやすく、また切実です。



『 日本では所得の高い人ほど、「格差があってもしょうがない」と考える傾向が強い。「うちはお金があるけれども、それだけ努力をして、勉強もして、投資もしているから」という意識です。』
media.moneyforward.com




『 とりわけ、女の子は学力に問題はなくても母親の苦労を考えたり、親が男兄弟の進学と将来を優先したりなどで、大学に行きたいのに諦めざるを得ないことがあります。そして、シングルマザー同様、女子ほど貧困のループから抜け出せなくなっていく。

「勉強はできるのに、女だから学問を諦める」というのは、昔の話ではありません。』
media.moneyforward.com




私には、他人の幸せを学歴や所得で判断するなどということはできません。

貧困や虐待を経ても幸せな人はいる。
幸せは自分の心が決める。誰かもおっしゃっていましたね。


でも、それでも。


貧困によって「奪われるもの」は確実にあって。
それはおそらく、学問だけに限らず、各種芸術や、考え方、生き方などの「学び」の機会なのです。


そして反対に、貧困から遠い立場の人間ほど、そういった現実があるということを知る機会を奪われている。




誰が、何によって、何を奪われているのか。
知って、考えて、動く。正す。

そういう人に、私はなりたい。

軽口のバラード

何だってわかる、自分のこと以外なら。




…まあ実のところ「何でもは知らないわよ、知ってることだけ」なんですけどね。

はいどうも。物語シリーズ化物語しか読んでないアニメ勢、フランソワ・ヴィヨンの詩もこれしか知らない木ノ子です。

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元々このブログ自体は「生い立ち自分語り」という前提で立ち上げたのですが、今までは各種エピソードという形だったのを、主に「進路選択」にフォーカスして遡ってみようかな、というのが今回の記事です。
チラシの裏の極み。

そして何だか今回は文体がいつもと違います。


* * * * * * 


※高校までは「これしかなかった」と思ってるので割愛。



大学受験。

京都大学という選択自体は間違っていなかったと思う。一人暮らしも含め。
が、学部と学科はこれでよかったのか?とたまに思うことがある。

農学部はいわゆる実学であることもあり、世の中に出て何か人の役に立つものを生み出すことを前提とした「必修科目」が多く、科目選択の自由度が比較的低い(特に3年次)。
また、雰囲気は牧歌的かと思いきや、案外パリピ寄りというかスクールカースト上位の人間も多い(※あくまで京都大学内で、の話である。さらに言えば、同じキャンパス内の理学部と比較して、とも言える。たぶん経済学部とかには太刀打ちできない)。
私は高校ではそれほど陰キャラではなかったものの、この集団においては完全にスクールカースト下位のメンタリティだったので、入学直後の学科全体(上級生や先生を囲んでの歓迎会など)の雰囲気には面食らったものだ。

余談だが、(私の学科の私の学年特有かもしれないが)女子の外見レベルが比較的高いというのもある程度コンプレックスを刺激していた。地元には文系大学か工業大学しかなく、「農学部の学生」というものを見たことがなかった私の描く農学部生像は、ロー○ーズファームという服飾店の前で母が呟く「なんかこのお店の服、農学部っぽいね」という偏見か、漫画「もやしもん」に出てくる少数の女子学生だけだった。しかしながら、実際のところローリーズ○ァームを着ている女子学生など皆無であった。(繰り返すが、他の学年や他の学科はそうでもないかもしれない。)


閑話休題


では何学部の何学科に行くべきだったのか、と考えると、同じキャンパスの隣の建物にある理学部の生物学科である。

実際に理学部生物学科の知人がいた訳ではないので内情を知らぬまま語るが、理学部は比較的取得科目の自由度が高い(ように見えた)。
字面だけ見れば牧歌的だが案外色々と急かされる農学部に比べ、理学部は俗人的でない異世界というか、時空間の流れが他学部と明らかに異なる(ように見えていた)。農学部では「いかに楽して必修科目を揃えるか」といった少々下世話な考え方をする者が(私も含め)多かった(そうせざるを得なかったとも言う)が、理学部生は好きなこと(研究のみならず、創作活動など)に没頭している人が多いという印象だ。
こちらの方が居心地が良かったのではないか?と考えることもあるが、後の祭りである。
(理学部の方が「物理と数学の二次試験の得点がべらぼうに高い」という頭のぶっ飛んだ受験生が多いので、こちらを選択していた場合不合格だったかもしれないが)


さて、次に考えるのは研究室選択と大学院進学。

3回生の秋を前にして「これから定期演奏会の練習増えてくし、院出といた方が就職もしやすいやろ」というクソ甘えた考えで学部生時代に全く就職活動をせず大学院進学を決意し、そして見事入試(倍率2倍強)に合格してしまったのが私である。
(演奏会の時期については私の所属していた吹奏楽団の都合だが、学部問わず後者の考えで進学した者も少なくはないのではないかと推測している)

4年次の研究室選択については、分野の興味や雰囲気から2つの研究室で迷ってはいたのだが、片方の研究室に私が手を挙げると定員オーバーで自動的にジャンケンとなり負けたら全く興味のない分野かつスパルタと噂の研究室へ即配属…ということもあり、リスクを恐れた私はもう片方の研究室(定員余裕あり)へ手を挙げた。
ジャンケンリスクの他の理由としては、後者の研究室の分野が比較的得意(本来3回生配当の科目で3回生でも単位取得が難しいと言われていたものを2回生のとき単位取得)だったのと、楽団の1つ上のめちゃくちゃ優秀な先輩が所属しており、何かあったら真っ先に頼れると思っていたからというものもある。
…忖度と甘えで研究室を決めたことがこの後の地獄への道へ繋がるとも知らずに。

※地獄については「選択の結果」の話なので割愛。



ここでのルート分岐については

①3年次秋冬に就活し、学部卒で就職する

②(①がNOの場合)研究室選択で忖度しない

があるが、おそらく「研究職に就く」という固定観念に取り憑かれていた私は①を選ぶことはしなかっただろう。
(実際に同じ学科で①を選んでいた学生は1割に満たなかったうえ、この時期は毎日の学生実験も長時間を要することが多く可処分時間が少なかったため、情報収集を協力して進めるといったこともできなさそうだったし)

しかしながら、ぶっちゃけ今となって考えると、学生実験はさほど楽しくはなかった。が、そのときは「レシピ通りに」「チーム単位で」やっていたからそう感じていたのであり、卒論研究や修論研究は自分で考えて自分の手でやるからきっと楽しいのだろう、と楽観視していたのだ。
まあ卒論研究はその通り学生実験に比べ「自分の手でゼロから始める」というのが楽しかった。ゼロから始めるので必ずイチ以上にはなるし。
しかし、ご想像の通り、イチからニやサンにするのが難しいのである。修士1年の夏頃から成果が全然出なくなり、というかうまくいっていると思っていた実験で再現性が取れなくなり、先生に相談しても返答が要領を得ず、親身な姿勢も見えず、実験のリカバリープランをプレゼンしても金銭的な援助(試薬や機器など)を得られることもなく、それなのに土曜にもコアタイムがあるという状況で、全く楽しくなくなっていった。
私のセルフモチベートが足らなかったとも言えるが、実は②のルートだと科研費が潤沢な研究室だったので、修士課程におけるやる気の減少ならびに成果不良は回避できていたのではないか?と甘えた懐古に浸ることもある。

※ちなみに、この「成果が出にくくなった」というのは先述の「地獄」のほんの一部である。多くは語るまい。




最後の分岐は就職活動。


私は元々、卒業後は「食で病気を予防する」ということに携わるのを目標にしていたのだが、様々な食品メーカーの説明会を聞いてもあまりそういったことに注力しているところがなかった。あったとしても超大手でトクホに研究費を充てられるほどの資金力があるところか、乳酸菌研究を行っている一部乳業系ぐらいか。
むしろ医療機器メーカーで検査機器の開発に携わる方が「予防医療」に貢献できるのでは?と思ったり、漢方薬ジェネリック医薬品に興味を持ったりとぶれまくっていた。


が、「自分の理想」「自分の能力(専門性含む)」「その企業に求められていること」が面白いほどに噛み合わない。


入ってしまえばどうとでもなるだろう、という謎の精神でエントリーシートに思ってもないことを書き連ねても面接で化けの皮を剥がされたり、そもそもあんたの専門分野はうちでは無用の長物やで、と言われたり。

そんな中でも大本命の企業はトントン拍子で面接が進み、最終まで辿り着いたものの、最終面接で落とされる。

ここからはもうほとんど記憶にないレベルで、エージェント任せで「数打ちゃ当たる」をしていた気がします。
だいたい50社ぐらいエントリーシート書いて、最終面接までいったのが全然毛色の違う4社、内定が出たのが1社。

その1社は私の専門分野や理想とはかけ離れた業界(IT系)だったものの、教授の「早く決めないと修了させない」という言葉と、もう今からエントリーシートを書く気力がないことから内定を承諾。
教授は就活が長引いた学生や研究開発職(理系専門職)に就けなかった学生を「就活に失敗した人」と呼んでいたけど、別に専門分野じゃなくても研究生活で培ってきた論理的思考やプレゼン能力、資料作成能力や執筆力なんかは仕事に活かせるし!と腹の中で舌を出しつつ京都を発ち、東京にて完全週休二日制の楽しい暮らしを送り始めたのが今。



今?

月曜から金曜まで病欠したよ。
布団から出ようとすると動悸がするからさ。



まあ、ざっくり言うと、この仕事に興味ねえんだわ。
勉強はそれなりに得意だけどそもそも学習意欲が湧かないから何も身につかない。
情報系出身でスタートラインが違う人がわらわらいる中で同レベルになるのにどんだけプライベートを犠牲にせなあかんねんというお話ですよ。

ただ、割とリベラルでロジカルでフラットな人が多いのは助かってる。
私も面接を受けていた大手企業に就職した友人から、旧態然とした上下関係の話とかセクハラの話とか聞いてるとうわっとなるので。



体力ない、メンタル絹豆腐、就労3年目にしては対したスキルや資格なし(一番長く携わってきた業務が社内システムの運用だったので、独自の知識ばかり)、という状態で転職活動ができようものか?

……前者2つのせいで布団から出られない日がかなりあるというのがまず無理と言える要素である。面接ブッチしまくって自己嫌悪で鬱のループに入る姿が目に見える。まずは休養取りたいところですな。もはや時短では賄えない。しっかし休職は年次によって取れる長さが違う。数ヶ月で全快するとは思えないんだが……



というかそもそも具体的にどういったところに転職したいというビジョンがほぼない。
前にふわっと書いたっちゃ書いたけど。

kinoko-konohanadou.hatenablog.com

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ただ、修士課程の頃の私はおそらくこのルートは思い付きもしなかったろうなあ。
「せっかくここまで頑張ってきたんだから」という固定観念は恐ろしい。対して優秀でもなかったくせに。


自己分析って、トラウマ持ちにとってはマジでキツい作業なんですよね。自分の裸と向き合うイコール傷痕を直視することなので。場合によってはかさぶたを剥がすようなことも必要になるかもしれないし。
私はいわゆる就活の期間にそれをできるほど時間も心も余裕がなかった。

ようやくそれをしなければどうにもならない段階が来たのだと思うものの、今だって時間も心も余裕がない。


甘えたいな。社会に。というか世界に。
家庭や学校で起こった諸々を抱えつつも、勉強に課外活動に創作活動にと割かし頑張ってきた方だと思うんだけどな。もうちょっと優しくしてくれたっていいのに。


泣いても何も変わらないよ、と母が昔よく言っていた。

それでもバタフライエフェクトみたいに何かがほんの少しずつ連鎖的に変わっていけばいいのに、と枕を濡らして夢を見る私。

順不同評

吉澤嘉代子さんの曲を語るときはなんだか漢字四文字のタイトルにしなきゃいけないような謎の使命感に駆られる、どうもわたしです。


今秋にとあるツイートから吉澤嘉代子さんの存在を知って「魔女図鑑」以外のアルバム大人買いした初心者ですが、彼女の紡ぐ歌詞の妄想ワールドや、その言葉たちをうたう綺麗な声を紹介したくて筆をとりました。



しかし!
どれも良いので順位がつけられない!



ということで、勝手に賞を設立してノミネートさせていくことにしました。

音楽自体は長年やってきたけどコード進行とかの理論についてはにわかオブにわかなのですっとばしていくよ。


* * * * * *

◆初心者オススメ賞
「ミューズ」
戦っている人のうつくしさを讃えた曲。この曲には物語の主人公となる「わたし」がいない。吉澤さんから視聴者へのエールなのです。疲れたとき、傷ついたときにどうぞ。


吉澤嘉代子「ミューズ」MUSIC VIDEO


◆キラキラ賞
「ユキカ」
四つ打ちのバスドラムが高まる鼓動、グロッケンの音がキラキラした気持ちを表しているような、初恋を描いた曲。MVもキラキラ。
ちなみに「ユキカ」というのは吉澤さんの幼い頃のご友人の名前だそうです。美しい響きを拝借したとのこと。


吉澤嘉代子「ユキカ」MUSIC VIDEO


ストーリーテラー
「麻婆」
公式音源が…ない…!
この曲を収録している「屋根裏獣」の全曲紹介トレーラーで少しだけ聞けます。


吉澤嘉代子「屋根裏獣」全曲試聴トレーラー


他の曲と一線を画しているのは「半分以上が語りパートであり、メロディではない」というところ。ラップというよりは紙芝居を読むような抑揚の付け方が聞き所です。
あばたのばばあ。


◆コケティッシュ
シーラカンス通り」
江戸川乱歩の「黒蜥蜴」を題材に、もし主人公がストリップダンサーだったら……という妄想をもとに描かれた一曲。
ラストのHigh Dが圧巻。だけどリリックビデオは途中で終わってしまう!CD買って聴いてみましょう。


吉澤嘉代子「シーラカンス通り」リリックビデオ


※同率入賞
「ちょっとちょうだい」
そういう女にお気をつけなさいよ。
(この女性の正体は化け猫らしいです)


吉澤嘉代子「ちょっとちょうだい」リリックビデオ


◆パワフル賞
「地獄タクシー」
何がパワフルって…声もそうだしホーンセクションの音もだしMVの気合いの入れ方もだよ!
他の曲に比べて声域も広め。ラストの1オクターブ低いサビから元の声域に戻るところとか、吉澤さんの豹変っぷりも聴いてて気持ちいいし、気合い入れて歌うとスッとします。


吉澤嘉代子「地獄タクシー」Music Video


◆ピュアリー賞
「うそつき」
吉澤嘉代子さんの恋の曲は「あなた」の性別を明示しないもの、はっきりと「わたし」が女で「あなた」が男であるもの、の2つが多いのですが、この曲は「わたし」も「あなた」も女子学生。
公式音源(リリックビデオ)だと最後まで聴けないんですが、最後の言葉と叫びが…(´;ω;`)


吉澤嘉代子「うそつき」リリックビデオ


◆しっとり賞
「よるの向日葵」
公式音源がない(n回目)。
今回は正真正銘ほんとに公式音源がない(全曲紹介トレーラー的なのもない)ので、気になる方はアルバム「女優姉妹」を買いましょう。
伴奏がピアノのみ。声も比較的やわらかめです。
晩夏の日暮れに静かな部屋で聞きたい。


◆MV賞
「女優」
映画"少女邂逅"の枝優花監督と平見優子カメラマンが、小川紗良さんと瀬戸かほさんを撮影した作品。
曲自体は「好きな人のそばにいられるように騙されている私を演じる主人公が、それでも光を信じ続ける物語」ということで、当初は日活ポルノ女優をイメージしていた(2番Aメロがそういった描写にとれる)とも言われていますが、このMVはポルノ女優の面影は一切ありません。
歌詞のとおり小川紗良さんの「瞳」のあり方が最初と最後で変わるのが見所。映画のワンシーンのような映像です。


吉澤嘉代子「女優」MUSIC VIDEO


◆秘密にしておきたい賞
「えらばれし子供たちの密話」
これも公式音源がない…!
「麻婆」と同じくアルバム「屋根裏獣」の全曲紹介トレーラーから一部のみ視聴可能です。


吉澤嘉代子「屋根裏獣」全曲試聴トレーラー


どこにも行けないふたりの子供が、大人の寝静まった夜に電話で合言葉を伝え合うというお話。ソウルメイトという言葉が似合う気もするのですが、あまり言葉にしたくないなあ。


◆総合一位
「movie」
歌詞、メロディライン、声、アレンジ、MV、そのどれもがピカイチだと個人的に思っている一曲。
「夢の中は死者と生者の境界が曖昧」というところから書かれた曲とのこと。短文でまとめられないので詳しくは下記ページ参照……

natalie.mu

背景に愛犬ウィンディの死があることからか、吉澤さんの歌声に心なしか「言霊の力」を感じます。


吉澤嘉代子「movie」MUSIC VIDEO



* * * * * *

うーん、まだあれも入れたいこれも入れたい!という曲がたくさん。
だけど多すぎると逆に聴く気が失せちゃいますもんね。

気に入った方は彼女のチャンネルからもっともっと探してみてください。

www.youtube.com



本日はいつもと毛色の違う記事でしたが、いかがでしたでしょうか?
人はだいたい20代後半ぐらいから新しい音楽の開拓をしなくなると言われていますが、私は1曲聴いて「もっと聴きたい!」となりアルバム大人買いまでしてしまいました。そんな魅力のあるシンガーソングライターさんだと思っています。これからも応援しちゃうぞ~!

今一番後悔してるのは、「女優姉妹」のライブDVDつき初回限定盤ではなく通常盤を買ってしまったこと。DVDだけどこかで手に入れられませんかね……?